Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

怪談家は、凄腕の工業デザイナー

(7月17日放送)
稲川淳二

稲川淳二
(いながわ じゅんじ)

タレント・工業デザイナー・怪談家

1947年8月21日
東京都渋谷区恵比寿生まれ/AB型
桑沢デザイン研究所を経て、工業デザイナー・タレント・怪談家として活動。日本テレビ「ルックルック」、NHK「大河ドラマ」他、多くの番組に出演。平成8年、通商産 業省選定グッドデザイン賞「車どめ」を受賞。全国ツアーの怪談ライブは今年、19年目を迎える。

このコーナーでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない各界の有名人をゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週は、タレント、怪談家で工業デザイナーの稲川淳二さんをお迎えします。じっくりとお楽しみ下さい。

物のない時代、憧れから全てが始まった
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鹿島 :今週のゲストは、稲川淳二さんです。

稲川 :稲川淳二でございます、どうもよろしくお願いいたします。

鹿島 :タレントさんとして、あるいは怪談話のスペシャリストとしてずっと見させて頂いていましたけど、実は長きに渡って工業デザイナーとしてご活躍で。

稲川 :そうですね。

鹿島 :今日は、手がけたボディデザインのお話ですとか、色々と伺いたいと思います。元々はイタリアのカロッツェリアに憧れて・・・。

稲川 :そうなんですよ、我々は物のない時代に生まれてますから。私は渋谷区恵比寿なんですね。いつだったかな、国産の幌をかぶった小さなクルマがモーター屋に置いてあって、エンジンが無いんですよ。それになんとなく乗りたくて、小学校1、2年の時、仲間を連れて座席に乗ってハンドルを持ったんです。それでみんなに押させたんですよ。エンジンも何にも無いんですよ。当時それで知ったんですが、恵比寿の駅に向かって中目黒方面からの通りがありますよね、駒沢通りですか、あそこが坂になっているのを知らなかったんです。それで仲間に押させたら、坂だからどんどん加速がつくんです。ブレーキが無いんですけど怖くないんですよ、クルマに乗ったことがないから。しかも右側を走っているのに全然平気で。ハンドルを握るのが嬉しくってね。でも怒られなかったですね。

鹿島 :それは何年代ですかね。

稲川 :私は昭和22年の生まれですから、昭和30年とかそのくらいじゃないですかね。その時初めてクルマのハンドルを握って、一人であちこち走ったという(笑)。

鹿島 :エンジンもついていなくて、ブレーキもないんですか。

稲川 :何もないんです。ほら、矢印の方向指示器がカコンと出るやつ。嬉しかったですね。

鹿島 :『三丁目の夕日』の世界ですね、ほとんど。

稲川 :ええ、ええ。まさにそうですね。あの時代ですから。我々は一番子供が多かった時代ですから。教室も40人の教室なのに60人入ってましたから。すごかったですよ。教室の前は戸が閉まるんですが後ろは閉まらないんです。ですから後ろに座っている奴は教室から半分くらいはみ出てるんです。そいつは東京の子なのに綿入れ着てましたもん。そういう時代ですもんね。だからモノに対する憧れは強かったですよ。

鹿島 :でも特にクルマに惹かれた理由ってなんだったんでしょうか。

稲川 :私はおもちゃが好きだったし、私の親類筋に同い年の女の子がいて、おじさんがアメリカ軍の仕事をしていたもんだから、よくおもちゃをもらってくるんですよ。これが立派なんだ、シボレーやなんかでデカくてブリキで分厚くて。私の持っているのは薄っぺらい。いいなあ〜本物みたいだな〜て。欲しくてねえ。その欲しいという気持ちが大きくなっていって、それでカロッツェリアに憧れて、ベルトーネやジウジアーロ、ピニンファリーナとかね。ああいうのになりたいな〜作りたいな〜というのが夢でしたね。それに私、器用だったんですよ。ですから出来るんじゃないかと思ってましてね。

鹿島 :じゃあご自分で何か色んな物を作られていたんですか。

稲川 :作りましたよ。いかさまのロボットをこさえてみたりね。5月1日のメーデーがありますでしょ、その時に看板だとか棒が落っこちているのを拾い集めて、うちの庭でもって仲間と一緒にこさえたな、飛行機。作ったけど門を出ないの(笑)。

鹿島 :フフフ。

稲川 :その次に作ったのは船。親父も何も文句も言わなかったな。その船もできたんだけど門から出ない(笑) そういうのばっかり作ってた。だからしょっちゅう私は文房具屋に行っちゃ紙やすり買ったりとかしてましたね。作るのが好きでね。

鹿島 :工業デザイナーの道に進む、影響を与える人たちというか環境があったってことなんですね。

稲川 :そうですね、見てしまうからでしょうね。そういうものを見なければそんなに憧れなかった。欲しいな〜という物欲から入ったんですね。それがどんどん増えていって、中学になった時に私の親友で詳しいのがいて、ですから余計に夢中になるんですよね。例えば彼の家は代官山のところにあって、朝、私は彼のところに寄って2人で中学に行ったんですね。代官山ったらお屋敷があるじゃないですか、停まっているんですよ、カッコいいカルマンギアとか。驚きましたよ、コンパクトで流麗なラインで。こんなクルマがあるんだな〜ってね。高級なアパートに入り込んで行って、別に怪しくないんですよ、駐車場を歩き回るのが好きでしたね、クルマを見るのが好きで。

鹿島 :そのあと桑沢デザイン研究所に入られて、卒業後は浜松で。

稲川 :はい。実はね、私は元々絵は好きで、物を作るのも好きだったんですね。立体(デザイン)の方へ行こうかという夢はあったんですよ。そのうち舞台美術とも思ったんだけどなんとなくチャンスを逃しちゃって。それでデザイン事務所が決まったんですよ。有名なんですよ、銀座にも事務所がありますけど。その時に私の友人の親友っていうのが東京に来たんですよね。その時にファイバーのボディを持ってたんですよ。そのボディを見た瞬間にレーシングボディだと思ったんです。それは綺麗でした、モスグリーンかなんかで。カッコいいな〜と思ったんですよ。それでちょうどその頃、米軍のアルバイトに憧れていまして。中が覗けるから。そしたら米軍の基地の中でレースをやっているんですよ。滑走路を使ってローラT70なんかもあったりするんです。

鹿島 :ええ〜!

稲川 :トレーラーが積んでくるんです。ましてや色が、あの米軍のモスグリーンなんです。これはすごいと思って。それで先生に、申し訳ないんだけどデザイン事務所を辞めてそっちへ行かせてもらっていいかって言って、浜松へ行ったんですよね。そこでレーシングボディを作るようになりましてね。

鹿島 :ちなみにどんなクルマのボディを。

稲川 :スズキのテスト用のボディ、フォーミュラみたいな形のやつを作ったり、ヤマハ関係のテストボディとかレーシングのシートとか作っていましたね。あとは一般のレースで使うものとかね。その時に童夢やなんか作ってらっしゃる由良さんだとかのチームに行ったことがありましたね。そのあと私の方は遠ざかっちゃいましたけどね。

鹿島 :1960年代とか70年代の頃ですよね。

稲川 :ええ。それで今でも覚えているのが、ミツミネっていうメーカーのファッションの会社があって、そこのポスターカレンダーに私の好きなクルマが4台写っていたんですね。フェラーリT4、フォードGT40、ローラT70、コブラ427。これがちょうど4台カーブを走っているシーンが写っていたんです。ところが私は当時はJUNのファッションの方が似合っていたんですよ。割と短いズボンとか似合わないんですけど、だけどこの際だからって買っちゃいましたよ。

鹿島 :フフフ、本当にかなりクルマを基準に人生が回ってきているんですね、実は。驚きました。


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レースには永遠のロマンがある