Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

イタリアの伊達男、クルマの美学。

(6月5日放送)
パンツェッタ・ジローラモ

パンツェッタ・ジローラモ


生年月日 : 1962年9月6日
出身地 : イタリア ナポリ
略歴 : 建築一家の三男として、ナポリ建築大学在学中に亡き父の後を継ぐ。主に政府からの依頼を受け、歴史的建造物の修復にたずさわる。1988年から日本在住。以降、多数雑誌、番組などで祖国イタリアについて紹介。2006年、本国より騎士の称号「カバリエレ〜イタリア 連帯の星勲章」を贈られる。

このコーナーでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない各界の有名人をゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週は、オートバイ、クルマを愛してやまないイタリア出身のファッションリーダー、パンツェッタ・ジローラモさんです。じっくりとお楽しみ下さい。

クルマも女性も父のDNAで
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鹿島 :今週のゲストは、パンツェッタ・ジローラモさんです。

ジローラモ :よろしくお願いします。

鹿島 :日本でいま最も有名なイタリア人といっても間違いないですよね。

ジローラモ :たぶんですね。でもザッケローニが来てるんですよね、日本代表で。だからどっちが一番か私たちはケンカよくしているんですね。

鹿島 :フフフ。1、2を争ってるんですね。

ジローラモ :ええ。

鹿島 :1962年にイタリアでお生まれになって、ナポリ建築大学を経て1988年に来日。それ以来ずっと日本で、本当に多方面でご活躍です。モデルやタレント、コメンテーター…。

ジローラモ :いろんなことやってますね。

鹿島 :仕事の数でいうと何種類くらいやっているんですか。

ジローラモ :結構ムズカシイですね。何をやっているか自分で分からないです。趣味でいろんなことをはじめると、仕事になってしまうんです。

鹿島 :なるほど。

ジローラモ :だから面白いですね。「趣味はなんですか」と言われたら、仕事ですね(笑)。

鹿島 :素晴らしいパターンですよね。だからジローラモさんという存在自体がお仕事みたいな。

ジローラモ :そういう感じですね。でも楽しまないといけないです。

鹿島 :理想的ですね。ところで、この番組は各界の有名人のみなさんのオートバイやクルマのエピソードを伺っているんですけど、免許を取られたのはイタリアですか。

ジローラモ :そうです。18歳の時にイタリアで取りました。

鹿島 :イタリアってどんな免許の取り方なんですか。

ジローラモ :日本の場合はドライビングスクールがあって、勉強したりするじゃないですか。

鹿島 :そうですね。

ジローラモ :イタリアの場合は、イキナリ外!

鹿島 :えっそうなんですか!?

ジローラモ :まず学校に行っていろいろ勉強して、クルマのテスティングする時には先生と一緒に外に出るの。そして普通の街の真ん中で運転するの! ここでいいのか!?と思ってしまうところから始まるんですね。

鹿島 :その前は誰かに教えてもらって練習したりしないんですか。

ジローラモ :しないんですけど、私は昔からクルマ好きだったんです。お父さんがクルマをいっぱい持っていて、でっかい駐車場もあったんですよ。だからそういうところで勝手にクルマに乗ってました。例えばイタリアのフィアット・チンクエチェントという小さいクルマで。そのクルマは鍵でエンジンをかけるんじゃなくて、ギアのあるところに小さいものがあってそれを引っ張ればエンジンがかかるタイプだったんですね。だから子供の頃、動かしていたんです。それは11歳の経験です。

鹿島 :チンクエチェント、フィアット500の元々のタイプですよね。今は復刻版が出ていますけど。昔はそんなシステムだったんですか。

ジローラモ :そうですね。それであの時はお父さんの駐車場の中であまり危険じゃなかったですけど、よくクルマでお父さんの別のクルマにぶつけたりとかしていましたね。

鹿島 :お父さんはクルマを何台お持ちだったんですか。

ジローラモ :5台くらいありました。でもしょっちゅう替えてたんですね。アルファロメオのスパイダーとかメルセデスとか、フィアット130という当時はすごく高級なクルマもありました。クルマ好きだったんですね。

鹿島 :じゃあ小さい頃から相当影響を受けていたんですね。

ジローラモ :そうそう。それでお父さんはバイクもいっぱい乗っていたんですね。ノートンとか。

鹿島 :ノートン! 渋い!!

ジローラモ :渋いですよ。昔はでっかいバイクだったから、お母さんと一緒に乗ったり、私も3人〜4人でよく乗っていたんです。でもお父さんは危険だと思っていて、私に「バイクはダメだ」と言っていたんです。

鹿島 :ちょっと待って下さい。オートバイにお母さんと一緒に3人〜4人で乗っていたとおっしゃいましたよね。それは前後に乗りわけていたんですか。

ジローラモ :そうですね。

鹿島 :かわいいですね、なんか。

ジローラモ :街は危ないけど、地方では楽しかったですね。

鹿島 :素敵な想い出ですね。

ジローラモ :そうですね。日本ではありえないですね。

鹿島 :今は絶対無理ですよね。

ジローラモ :無理ですね。だから当時はヘルメットも無しで、お父さんはリーバイスのジーンズにサングラスをかけて、ずっとカッコつけてたんですね。マーロン・ブランドみたいな感じでしたね。

鹿島 :ジローラモさんがこういうビジュアルですから、お父さんも相当カッコ良かったんだろうなと容易に想像つきますね。

ジローラモ :いやらしかったですね、お父さんは(笑)。

鹿島 :フフフ、DNA全て頂いちゃってる状態ですか。

ジローラモ :そうです。そのまんまです。

鹿島 :間違いないですね。それで、免許は11歳の時に自宅で練習していた経験を元に取りに行って。

ジローラモ :そうですね。

鹿島 :じゃあ楽勝で取っちゃったんですよね。

ジローラモ :楽勝だったんですけど怖いですよ。急に街の真ん中ですから、しかもナポリですよ。誰も何も守らないから。赤信号で私は止っているけど、後ろからクラクションを鳴らされて「動け〜!」という感じで。

鹿島 :ひどいですね。

ジローラモ :今は結構ルールを守っているけど、やっぱり怖かった。だけどそれに慣れればどこでも運転ができる。

鹿島 :そうか、厳しい環境で育っただけに。

ジローラモ :そうです。

鹿島 :そう考えますと、来日して初めてクルマを運転した時はすごく楽だったんでしょうね。

ジローラモ :楽だったんだけど、日本の場合は交差点で右に行きたいのに間違えて左の斜線にいると、黄色い斜線になっていて右車線に行けないじゃないですか。みんな入れてくれないし。でもイタリアの場合はウィンカーつければ右に行けちゃう。そういうところで結構大変でした。ケンカばかりしてました(笑) おい入れてくれ! とか。やっぱりシステムが分からないとね。イタリアの場合は左も右も自分の思ったように曲がればいいんです。


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