Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

世界の名車を産み出した日本人

(4月17日放送)

宮川秀之

©小川カズヤ

宮川秀之
(みやかわ ひでゆき)

1937年群馬県前橋生まれ。
早稲田大学在学中に、オートバイでの世界一周の旅へ。様々な国を訪れている途中、イタリア・トリノのモーターショーで運命の女性マリーザと出会い、結婚、永住を決意。カーデザインの鬼才、ジウジアーロと共にイタルデザインを創設し、数々の名車を世に送り出す。その後、トスカーナで共同農園ブリケッラを始め、有機農法をいち早く取り入れたワイン作りを手掛ける。また、農園に引きこもりの児童を引き取る活動も行っている。農園に住み込みで働いていた小川和也が監督を務めた映画「ピンクスバル」にエグゼクティブ・プロデューサーとして参加。

このコーナーでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない各界の有名人をゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週は、イタリアからのお客さまです。1960年代にカーデザインの鬼才、ジウジアーロとイタルデザインを興し、数々の名車を世に送り出してきた宮川秀之さんをお迎えします。じっくりとお楽しみ下さい。

夢の始まりは学生時代
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鹿島 :今週のゲストは、宮川秀之さんです。よろしくお願いします。

宮川 :よろしくお願いします。

鹿島 :現在公開中の映画『ピンク・スバル』のエグゼクティブ・プロデューサーとして来日中ということで、普段はイタリアにお住まいなんですよね。

宮川 :そうです。トスカーナの農園におりまして、美味しいワインを作っています。

鹿島 :いいですね〜。私もいち自動車好きとして、ジウジアーロのイタルデザインの宮川さんにお会いできるということで、本当にこの一週間は楽しみでしょうがなかったんですよ。本当にお会いできて光栄です。

宮川 :いやいや。

鹿島 :映画のお話しはのちほど詳しく教えて頂きたいんですけど、まずプロフィールを見させて頂いて驚がくしたのが、1937年生まれということで現在は73歳。早稲田大学在学中にオートバイで世界一周の旅に出られているんですね。

宮川 :はい。

鹿島 :どうされたんですか、例えば活動費ですとか旅費は。

宮川 :アルバイトしていたレッドエックスという英国の添加剤があって、その添加剤を昭和石油のパロットという2サイクル用のエンジンオイルに添加したら性能が良くなるだろうと思い、昭和石油にお願いして試作をやってみたら、これがいいんですね。そこでそのオイルを純正オイルということにしてもらってスポンサーに買い取ってもらって、1割もらって優先外貨を買ってですね。

鹿島 :フフフ。

宮川 :そしてパスポートを取るという離れ業をやりました。

鹿島 :素晴らしいですね! 当時すでにビジネスマンだったわけですね。エージェントとしてギャランティをもらってその外貨で世界へ。もともとそういう商才がおありだったんですか。

宮川 :う〜ん、まあそうだと思いますけどね。好きだったんです。

鹿島 :その時点ですでにすごいですね(笑) 旅の話を聞く前なのに。最初はどちらへ行かれたんですか。

宮川 :最初は香港です。それからカルカッタ。カルカッタまでオートバイを送っておいてですね、それで香港経由でカルカッタまでジェット機で行くという。

鹿島 :世界一周の旅の始まりは苦労で始まったんですか、それとも喜びで始まったんですか。

宮川 :びっくりしたのは、香港でもインドでも大変なカルチャーショックを経験したことでしょうね。英国の統治下にあったから道路事情は両方とも素晴らしいアスファルトでしたけど、それ以外は非常に官僚的というか。書類一つとってもインドは大変でしたね。

鹿島 :時間が掛かるということですか。

宮川 :時間が掛かるんです。それに大変な量のドキュメントを用意しないと何事も出来ないという。まあしかし毎日が勉強でしたね。

鹿島 :その後はどこに行かれたんですか。

宮川 :それからインドを横断してニューデリーへ。それからアッサムをちょっと覗いてパキスタンに入って、パキスタンのモヘンジョダロやハラッパという4000年の歴史を持つ遺跡ですけど、そこは館長さんが僕らを見て大変だろうと思ったんでしょうね、ご飯を炊いてくれて。おかずは塩ですよ。だけど今でも味を覚えているくらいに嬉しかったですね。非常にハーティーウェルカムをインドでもパキスタンでも受けました。そしてカルカッタからカラチまで行きます。そこで1ヶ月ほどアルバイトをさせてもらって、それからローマを目指すんですけど、ローマはちょうどオリンピックの年でした。ローマオリンピックが8月に始まるのでそれまでに間に合わせないといけない、というところでした。

鹿島 :1960年ですね、東京オリンピックの前。

宮川 :そうですね。日本はちょうど日米安保の大変な時代でしたね。


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イタリアで出会った運命のヒト、クルマ