Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

引退から新たなステージへ

(4月11日放送)
中野真矢

中野真矢
(なかのしんや)

1977年10月10日生

5歳でポケットバイクに出会い、その後ロードレースの世界に。 1998年にYZR250で全日本チャンピオンを獲得、翌年から 世界GP250ccクラスへ参戦。2000年には世界ランク2位を獲得し、 翌2001年、最高峰500ccクラスへステップアップ。 2003年、長年所属したヤマハからカワサキレーシングチームへ移籍。 その年の日本GPでカワサキへ最高峰クラス初の表彰台をもたらす。

その後ホンダへ移籍、2008年までの10年間、56番のゼッケンと 共に世界最高峰のGPを戦い続け、そのスマートなライディングで 世界中のモーターサイクル&モータースポーツファンに愛された。 2009年にはアプリリアレーシングチームよりワールドスパーバイク 世界選手権に参戦。シーズン終了と共に、惜しまれながら 現役引退を発表した。

現在は自身のブランド・56designのプロデューサー、 MotoGP・日本GPのPRプロデューサーの他、TV中継の解説者として活躍。 また、未来を担う子供たちを対象とした電動バイク体験キャラバンの キャプテン(インストラクター)を担当している。

このコーナーでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない各界の有名人をゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週は、90年代から国内外のオートバイレースで活躍。昨年秋に惜しまれながら現役を引退した中野真矢さんをお迎えします。お楽しみ下さい。

世界最高峰の戦いを終えて
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鹿島 :今週のゲストは、中野真矢さんです。よろしくお願いします。

中野 :よろしくお願いします。

鹿島 :改めまして中野選手のこれまでの活躍を振り返らせて頂きますと、もともとは幼い頃にポケバイで活躍をして、それから本格的なレースとしては98年に全日本の250ccでチャンピオンを獲って翌年に世界へ。いきなり表彰台を獲得したりっていう活躍で、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを確かとられたと思うんですけど、世界に行った後、日本で築き上げた速さや自信が、例えば「ちょっと違うな」とか苦労したことはあったんですか。

中野 :そうですね、日本のサーキットでレースをして、レース自体は海外に行ってもスタートしてゴールで、まあライバルが外国のチャンピオンが集まっていて強くなるのでそういう難しさはあるんですけど、基本的にレース自体はそんなに大きな差はなく入れて、海外に行けたんですね。でもそれ以外の生活ですか、僕はフランスのチームに最初入ったんですけど、メーカーの日本人スタッフが1人助けてくれるくらいで、いきなりフランス人の中に入るわけですよ。そういう文化の違いやもちろん言葉の壁、そういうので最初は苦労しましたね。

鹿島 :その当時は英語は?

中野 :英語は必死になって。行くって決まってから3ヶ月間、英会話スクールに通いまして行ったんですけど、でも3ヶ月じゃ覚えられるわけないじゃないですか(笑) だから見よう見まねで。でも最初、英語のアクセントが「フランスなまりだ」って言われましたね。

鹿島 :なるほど。でもフランスのチームですからほとんどがフランス語ですよね。

中野 :そうですね。さすがにグランプリのパドック、レース場ではみんな英語をしゃべるんですけど、一旦本拠地のフランス、場所が良くて南フランスのニースのそばだったんですけど、そこに帰ると食事の時にみんな集まるとフランス語になっちゃうんですよね。僕もそこで、今考えたらフランス語やっとけばよかったなって思うんですけど、トライしたけどあまりの難しさに挫折しまして。その辺は苦労しましたね。

鹿島 :でも当時、世界のレースを戦う、いつも違うサーキットに行って新しいコミュニケーションが始まるっていう中で、言葉までも同時に学ぶのって本当に大変そうですよね。

中野 :そうですよね。一年目は本当にそういう、レース以外のところで苦労しました。ただ、やっぱりそれじゃまずいと思って一年終わった後にですね、また日本で英会話スクールに行って2年目に備えたら、少しコミュニケーションがとれるようになって一気に視野が広がったというか。友達もでき、レースの成績も上がってきてっていう感じで楽しめるようになりましたね。

鹿島 :実際、翌年はチャンピオン争いを展開して年間ランキング2位で終えているわけですけど、その後は500にステップアップして。オートバイの世界で500っていえばそれより先がない、本当にトップの最高峰ですけど、ステップアップして戦い始めた頃ってどんな風に感じていたんですか。

中野 :いやー、自分がその500ccっていうと、自分があの頃の有名な選手っていえば、レイニー、シュワンツ、ガードナーっていう有名な外国人選手がいたんですけど、その選手たちが乗っていたマシンで世界を戦うってこと自体、想像がつかなかったんですよ。ただ、1年目にランキングが5位まで行けて、その年も最高峰クラスのルーキー・オブ・ザ・イヤーをもらえたんですね。自分で言うと自慢になっちゃうんですけど(笑)。

鹿島 :フフ、大丈夫です。

中野 :それですごく、世界でやっていけるのかなっていう自信になりましたね。

鹿島 :だって、ルーキー・オブ・ザ・イヤーっていうのはルーキーの中でトップですし、ランキング5位ってことは、あと残り4人抜けば…ってことですよね。

中野 :そうなんですよ。

鹿島 :いきなりそれですもんね。

中野 :ただ、そこで行けるんじゃないかって甘く思ったのか、そのあとちょっと成績が伸び悩んで。

鹿島 :2004年に、カワサキのマシンに乗り換えて、これは僕、ツインリンクもてぎという栃木のサーキットでずーっと走りを観させてもらいましたけど、3位表彰台。

中野 :あれ、テレビですか。

鹿島 :いえ、現地で。

中野 :あ、現地いらっしゃったんですか!?

鹿島 :現地です。

中野 :あら。ピットに来てくれれば良かったんですよ〜。

鹿島 :その時は、最終コーナーを立ち上がってきた時にものすごかったんですよね、歓声が。

中野 :サーキットのですか。

鹿島 :ええ。要は、中野選手がどこを走っているかっていうのが、観客の声で分かるという。

中野 :なるほど。

鹿島 :最後の下っていくところは下りの方の観客席から「ワー!」っていう声が聞こえて、最後のシケインを立ち上がると、観客席の最終コーナー寄りから真ん中、1コーナーにかけて、中野選手が通るのがそのままエンジン音よりもお客さんの歓声の方が大きかったんです。それはライダーとしては聞こえなかったんですか。

中野 :いやさすがにですね、耳栓もしてますし聞こえはしなかったんですけど、1コーナーとか入っていく時に、グリーンのカワサキのフラッグと共に、振られている日の丸がすごく目に入ったのを覚えていて。あと5周、あと4周行けば表彰台みたいな。そんな声援はよく響いてきてましたね。でまた、カワサキファンは熱いんですよ!

鹿島 :熱かったですね〜!

中野 :熱いんですよね、応援してくれて。

鹿島 :わりと、硬派なライダーが多い印象なんですけど。

中野 :“男カワサキ”ですからね〜。

鹿島 :フフフ。

中野 :僕もなんか、半端な成績じゃ帰れないっていつも思ってましたから。

鹿島 :フフ、そうですよね。でもその硬派なイメージのカワサキファンのみなさんが、色んな年齢の方がいたと思うんですけど、あんなに旗を振ったり腕を振り上げたりするんだなっていうのも、ちょっと驚きだったんですよね。

中野 :僕は本当に嬉しかったのは、まあ3位じゃないですか、優勝じゃないんですけど、カワサキとしては本当に最高峰クラスで23年ぶりで表彰台をとれたので、表彰台に上がった時に自分の名前をコールしてくれるわけですよね。それは鳥肌が立ちましたね。

鹿島 :レースで鳥肌が立ったことって、現役時代に何回くらいあったんですか。

中野 :いやー、あの時の感動が一番だったかも知れないですし。もちろん優勝したら嬉しいんですけど、そういう非日常というかなかなか味わえない感動を覚えると、レースやめられないんですよね〜(笑)。


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