Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

オレが総理大臣だったら・・・

(1月31日放送)
K ダブ シャイン

K ダブ シャイン

東京都渋谷区出身のMC。

日本語の歌詞と韻(ライム)にこだわったラップスタイルが特徴。現在の日本語ラップにおける韻の踏み方の確立に大きく貢献したMCである。

日本人としての誇りを訴えかける歌が多く、日本人MCとしては「児童虐待」・「シングルマザー」・「麻薬」・「国家」・「AIDS」など様々な社会的トピックを扱う数少ないMCとして知られている。

1997年には法務省主催の「社会を明るくする運動〜HIP HOPを見て聴いて若者を語る〜」に参加。2001年には所属グループ、キングギドラの一員として念願だった少年院慰問ライブを行うなど音楽以外の活動も精力的に行っている。

2002年にはTV東京「流派ーR」と連動し、コンセプトに共鳴するアーティストらと共に更に推し進めたコンピレーションアルバム「Change the Game」を発表し様々な方面から反響を得る。その売上の一部は、全国10箇所の児童養護施設に寄付され、パソコン、
洗濯機、エアコン等の生活必需品を購入してもらう為の費用に充てられた。

このコーナーでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週は、1月27日にメッセージソングベスト『自主規制』をリリースしたばかりのK ダブ シャインをお迎えします。お楽しみ下さい。

スーパーカーになりたかった!?
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鹿島 :今週のゲストは、K ダブ シャインさんです。よろしくお願いします。

K ダブ :よろしくお願いします。

鹿島 :実はこの番組は12年目に突入です。

K ダブ :すごいですね。

鹿島 :大I義丹さんも、クルマを愛してやまない方ですけれども、何度も出て頂いていて、昨年に映画を撮られたタイミングでご出演した時に、K ダブ シャインさんのもう一つのプロジェクト、Radio aktive projeqtの曲を掛けさせて頂きながら…という放送だったんですよ。

K ダブ :ありがとうございます!

鹿島 :映画『ブレーキ』、クルマが出てくる…

K ダブ :ご覧になりました?

鹿島 :もちろんです。

K ダブ :結構セクシーな、全編に渡ってね。

鹿島 :そうですね。

K ダブ :だから曲が合ってるのかどうかっていう、たまにちょっと首をひねるところもあったんだけど(笑) 監督が「これで行く!」って決めたんで、そうしてもらいました。

鹿島 :でも、大I義丹さんに番組にお出になって頂いて、例えばアーティストの方ですと大体、周りの方が、「このCDで」って持ってこられるじゃないですか。それが大I義丹さんの場合はおもむろに「今回、これをかけてもらっていいですか?」って言って、打ち合わせの時にカバンの中からCDを取り出して、「この曲とこの曲をお願いします」って(笑)。

K ダブ :あ〜嬉しいです。

鹿島 :何か事前にご相談があったんじゃないですか。

K ダブ :なんか、「ラジオに出るんで、どの曲がいいかな〜」みたいなのは聞いていたんだけど、この番組だっていうのは、今日ここに来て知りました。

鹿島 :大I義丹さんってテレビに出ている時は俳優さんじゃないですか。その時は別に監督さんですとかスタッフの方がいらっしゃるんでしょうけど、ご自分の映画だったので、もうかける曲から何から全部、仕切ってみたいな。

K ダブ :すごい情熱を持って接してくれました。

鹿島 :そんな、大I義丹さんとの縁もありながら、今回初めてお越し頂いたんですけど、義丹さんも私も、そしてK ダブ シャインさんも同じ1968年生まれ。

K ダブ :そうなんですよね。

鹿島 :同い年で。大体この世代の人間は、若い方にこの言葉を言うと分からないんですけど、“スーパーカー世代”なんですよね。

K ダブ :そうですね(笑) 間違いない。

鹿島 :間違いないですよね。子供の頃、やっぱりスーパーカーに憧れました?

K ダブ :もう、スーパーカーになりたかったです。

鹿島 :アハハ! ちょっと待って下さい。もう、乗りたいを超えて “なりたかった”!?

K ダブ :乗りたいを超えて、なりたかった。

鹿島 :一番好きだったクルマはなんですか、当時。

K ダブ :ん〜、まあランボルギーニが僕はやっぱり好きだったんだけど、幻のイオタとか…。

鹿島 :フフフ。

K ダブ :ああいうのにすごく興味があって。で、スーパーカーショーとかたまにやってたじゃないですか。それを観に行って、LP500Sと写真を撮ったりとか。

鹿島 :懐かしいですね(笑)。

K ダブ :タルガとか、ああいう。

鹿島 :タルガトップ、みたいな。

K ダブ :はい(笑)。

鹿島 :なるほどね。まあ、スーパーカー世代の方々は、私も含めてですけど、その後に免許を取ったり、クルマに憧れることが多いんですけど、免許を取られたのはいつ頃ですか。

K ダブ :ええと、20歳くらいですね、僕は。

鹿島 :これは日本ですか、海外ですか。

K ダブ :これはアメリカで。

鹿島 :どの辺で取られたんですか。

K ダブ :ペンシルバニア州の免許を、はい。

鹿島 :おお〜。簡単に取れちゃったんですか。

K ダブ :いや、まあ日本に比べれば、だいぶ簡単だし、教習所もないから実地をその辺で2周くらいするだけでOKなんですけど、まあ英語だったっていうのがあったのか、2回くらい落ちましたね(笑)。

鹿島 :アメリカには何年位いらっしゃったんですか。

K ダブ :合計で9年くらい。

鹿島 :何歳から何歳まで?

K ダブ :16歳から25歳くらいですね。

鹿島 :向こうにいらっしゃる時のカーライフはどんな感じだったんですか。

K ダブ :その頃はもうスーパーカー熱もずいぶん下がっていて、まあアメ車も好きだったし、どっちかっていうとその頃は日本もバブルとかもあったので、ドイツ車なんかに萌え〜ってなってましたね。

鹿島 :フフフ。実際、どんなタイプのクルマに乗られていたんですか。

K ダブ :向こうにいた時は、知り合いから売ってもらった国産の小型車に近いような、燃費のいいやつに乗っていたんですけど。

鹿島 :でも80年代のアメリカにいらっしゃったということで、ほんとこれぞアメリカンみたいなクルマには乗られなかったんですか。

K ダブ :コルベットとかカマロとか、ああいうのは結構好きなんですけど。あとはマスタングとか。マスタングは今、憧れていますね。

鹿島 :実際、アメ車は乗られたんですか。

K ダブ :日本に帰ってきてから、ジープ・チェロキーにちょっと乗りましたね。あと、アメリカにいたときは、ビュイックの69年型のルセーバーってやつなんですけど、もう鉄の機関車に乗ってるみたいな。

鹿島 :何ccくらいあったんですか。

K ダブ :ええと…4000くらいじゃないですか?

鹿島 :でも1969年のビュイックといいますと、ほとんどご自身と同い年。もし今残っていたら、40年前、40歳のクルマですよね。

K ダブ :ですね。もう完全にポンコツで。でも向こうだったら大体、ローライダーとかそういうの、インパラとか乗ってるじゃないですか。で、インパラよりは落ちるんだけど、まあまあ「いいの乗ってんじゃん」みたいな、向こうの輩に色々と聞かれたりしましたね。


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