Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

偉業の猛者と優しい素顔

(1月24日放送)
松田次生

松田次生
(まつだ つぎお)

1979年生まれ。
93年からカートを始め、95年には最高峰クラスへ参戦。
97年にレーシングスクール「SRS-F」に入校しスカラシップを獲得。
98年、「全日本F3選手権」で初優勝を果たし、国内最高峰の「フォーミュラ・ニッポン」にスポット参戦(6位入賞)。
99年にはF3世界一決定戦「マカオGP」4位入賞。
2000年、PIAA Nakajima Racingから「フォーミュラ・ニッポン」に参戦。第3戦で最年少優勝、年間ランキング4位で注目を集める。

01年からは「全日本GT選手権」にも参戦。
2002年、「フォーミュラ・ニッポン」年間ランキング5位、「全日本GT選手権」年間ランキング2位。

07年、「フォーミュラ・ニッポン」にTEAM IMPULから参戦、未勝利ながらもシリーズチャンピオンを獲得。
翌08年には開幕3戦連続ポールtoウィン、開幕6戦連続ポールポジション獲得など圧倒的な速さを見せつけ、シリーズ史上初2連覇を達成した。

◆オフィシャルサイト:http://www.tsugio.com/index.html

このコーナーでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週は、国内最高峰の自動車レース、フォーミュラ・ニッポンで2007年、2008年と連覇を達成するなど活躍中のレーシングドライバー、松田次生さんをお迎えします。お楽しみ下さい。

背水の陣で優勝しプロへの道を・・・
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鹿島 :今週のゲストは、レーシングドライバーの松田次生選手です。よろしくお願いします。

松田 :よろしくお願いします。

鹿島 :松田選手とは、例えば2007年の富士スピードウェイのF1グランプリの時に、一緒に解説席に座らせてもらったりですとか、去年は六本木にあります『F1 PIT STOP CAFE』で、六本木の深夜に(笑) F1をライブ中継でお届けをしながらという画期的なイベントで何回かご一緒させて頂いているんですけども、レーシングドライバー、レーサーになろうと思ったのは、いつ頃どんなことがきっかけだったんですか。

松田 :実はですね、僕は三重県出身で鈴鹿サーキットがものすごく近いので、F1を観たかったんですよ。それでF1のチケットを買いたかったんですけど手に入らないんですよね。ちょうど90年くらいなんですけど。それでテレビで観て、僕はレーサーになりたいなとすごく思いましたね。

鹿島 :レーサーになれば鈴鹿のグランプリのチケットが容易に手に入る、もっと言うと俺が走りたいみたいな(笑)。

松田 :それはありましたね。観られない分、僕がここで走ってみたいというのはありましたね。

鹿島 :やっぱり鈴鹿サーキットが近いと、レースですとかクルマ自体に興味を持つ方っていうのは、同世代の方でも多かったですか。

松田 :多かったですね。本当に僕は鈴鹿育ちで、カートも鈴鹿でずっとやってましたし。レーサーを目指していた年代は多かったですね、僕の世代では。

鹿島 :実際にレーシングドライバーになったのは、例えば同級生とか地元の友達とか。

松田 :僕だけですね(笑)。

鹿島 :本当に狭き門ですからね。

松田 :そうですね。

鹿島 :今年おいくつですか。

松田 :30歳になりました。

鹿島 :じゃあ例えばですけど、企業に入ったり商売やっている友達も、これからどんどん脂が乗ってくるような世代ですよね。

松田 :そうですね。本当に僕自身も頑張らなきゃいけないですし、逆にレーサーになれなかった友達は自動車整備をやって色々と応援してくれますしね。

鹿島 :いいですね〜! ところで、プロになるために鈴鹿のレーシングスクールに入ったわけですよね。その頃の思い出といいますか、色々と大変な事もあったと思うんですけど。

松田 :スカラシップ制度っていうのがありまして、僕たちの同期でいうと佐藤琢磨選手、あと金石年弘選手も一緒だったんですけど、9名いたんですけどその中で3人選ばれるということで、僕自身もその3名に選ばれるためにものすごく必死になって頑張ったんですけど、ただ僕自身が入った時にはまだ免許が無かったんですよ。

鹿島 :はい。

松田 :だからクラッチ操作とかも何も分からなくて(笑) そこから教えて頂いて。もう佐藤琢磨選手は年上だったので、すぐにフォーミュラに行っても速かったんですね。だからそこに追いつくまでが結構大変でしたね。

鹿島 :当時、鈴鹿のレーシングスクール時代は、佐藤琢磨選手、それから金石年弘選手、そして松田次生選手が非常に優秀な3人だということで、よく話題になっていましたね。

松田 :そうですね。もうなんて言うんですかね、あの時は佐藤琢磨選手は本当に、オリンピックの選手、競輪を目指していて代表にも選ばれそうになったと言っていましたし、僕自身もスポーツやっていたんですけど、彼はちょっと次元の違う、なんかこう…自分の信念を持っていましたね。そこで僕自身も学べた部分があったし強くなった部分もあるのかなって思いましたよね。

鹿島 :見事、レーシングスクールでの活躍やスピード、それからメンタリティ、精神的な部分が認められてプロへの道が開いたんだと思うんですけど、松田選手が「ああ俺はプロのレーサーだな」って思ったのはどんな瞬間、どんなレースですか。

松田 :僕はF3に乗った時も3番目だったんですよ、スカラシップを取ったのが。そこで5戦しかF3に乗るチャンスがなかったんです。それで、ここでダメだったら僕はもうレースを諦めなきゃいけないと思ったんですけど、その5戦目で優勝して残りのレースも出られたので、マカオの世界選手権も行って、その時にプロの実感を受けましたね。

鹿島 :でも、わずか5レースですよね。ここがやっぱりレースって難しいですよね。

松田 :そうですね。ここで評価をされるので、いかにそこで結果を出して周りの人にアピールするかっていうのが、ものすごく大事だったので、それが僕自身も大変でしたね。

鹿島 :そのF3で、最後のチャンスの5レース目っていうのはどうだったんですか、それまでと比べて。もうギリギリを超えて、限界以上の走りを自分でもしたみたいな。

松田 :ありましたね。もう予選でちょっと、もてぎのレースだったんですけど走ったことがなかったんですよ。テストもなくて。

鹿島 :コースは初めて?

松田 :初めてだったんですよ。

鹿島 :信じられない…すごい(笑)。

松田 :それでいきなりのレースで、予選をちょっと失敗しちゃったんですけど、決勝は雨だったんですよね。それで雨降った時に、僕らは前座レースでF3だったんですけど、フォーミュラ・ニッポンの走りを観たときにラインが分かったんですよ。外国人の選手が走っている時の。それでそのラインを見て僕も真似したら勝っちゃったんですよね。

鹿島 :フフフ…すごいですね。

松田 :そうですね。だからそれは本当に、あれがなければたぶん今、レースをしていなかったなっていうのはありますね。

鹿島 :雨の日は、ラジオを聴いているサーキットに行ったことがない方もなんとなくテレビで雰囲気は分かると思うんですけども、晴れている時に通るところと、雨の日ってサーキットによって、ちょっと水の量が多いところですとか色々変わってきますよね。

松田 :変わってきますね。それで、水の量が少ないところと、プラスやっぱり滑りやすいじゃないですか。それで滑りやすいのをいかにタイヤをグリップさせるかっていうのがものすごく大事で。その通るラインでなるべく舵角を少なくして立ち上がるっていうのを意識してライン取りをしていましたね。

鹿島 :それを他のレースを見ながら、短期間で会得したっていうところもやっぱり、松田選手がその後どんどん活躍していく理由が分かりますよね。

松田 :すごく自分にプラスになりましたね。


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星野一義という存在