Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

5大陸を走破した「自動車環境評論家」

(10月18日放送)
横田紀一郎

横田紀一郎

(よこたきいちろう)

自動車環境評論家
1941年1月10日・東京港区出身

1968年、発売間もないパブリカ1000で南ア・ケープタウンからエジプト・カイロまで縦断に成功。朝日新聞にそのドライビングが認められ「南ア・アパルトヘイト」取材でキャメラマンとしてデビュー。1974年からTBS海外取材番組のドライバーとして20万Kmの取材ドライブを続ける途中、サハラ砂漠で「パリ・ダカールラリー」に遭遇、1981年、第3回「パリ・ダカールラリー」に2WDスターレットで初参戦。2年後、2WDのカリーナで2輪駆動クラス、2WD無改造クラス、2WD総合と3冠を獲得。12年間のパリ・ダカ挑戦でクラス入賞4回を記録。1994年、国際家族年を記念して「人と自然とクルマの共生」をテーマに河川のゴミを拾うことをゲームとする「リバーレイド」を開催。“川の源流を綺麗にすればクジラが育つ”を合言葉に2009年には17回目を迎えた。

1997年、プリウスがデビュー、過酷な地球環境に耐えられるのだろうか、20世紀最後の地球環境をプリウスで見ようじゃないかと、アメリカ環境最前線を巡る「エコミッション」がスタート。2000年には国境を取っ払って新たな国造りに燃えるEUを訪ねた。2001年にはドラム缶1本から燃料の給油を受けるサハラ砂漠のインフラにもプリウスのHVシステムが順応した。モンゴルのゴビ砂漠を舞台に“速さに加え低燃費を競う”エコチャレンジに2年間連続優勝。2007年、ユーラシア大陸横断にチャレンジ、「北京〜パリ」シルクロード横断に成功。2008年には6000m級の山々が連なる南米大陸で標高度への挑戦を実施、プリウスは標高4562mを簡単にクリアー。2009年5月18日、3代目プリウスが登場、5大陸目のオーストラリアの挑戦を9月に完了した。

地球の地肌を走ることで感じるヒトの努力、環境負荷の少ないモノの進化と向上、何よりも大切な地球市民一人一人が環境保全に興味を持ってもらえるよう、 身近な街から、最果ての原野まで常にエコ視線全開で走り続ける。

このコーナでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週は、自動車環境評論家、横田紀一郎さんをお迎えします。お楽しみ下さい。


報道カメラマンからパリダカへ
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鹿島 :今週のゲストは、自動車環境評論家の横田紀一郎さんです。よろしくお願いします。

横田 :よろしくお願いします。

鹿島 :“自動車環境評論家”という、この肩書きは、言葉のインパクトがすごいですね。

横田 :ええ。自動車環境っていうのはですね、外から見る側よりも、僕は乗っている側をやりたいよなと思って。自動車の目線から環境を見ていくっていうんでね。まあ仰々しい名前ですけどね、僕しかいないんですよね、世界中にまだ(笑)。

鹿島 :世界に一人っていうのがいいですね。 ところで、元々は報道カメラマンとしてお仕事をされていて、1970年代の後半にパリ・ダカール・ラリーに日本人として初めて出場されていますが、なぜ報道カメラマンから?

横田 :報道カメラマンっていうのをやっていたのは特派員です、特派カメラマン。南アのアパルトヘイトをずっとやっていたもんですから。そこで、今のマンデラさんがロベン島っていう刑務所に入っている時にね、カヌーで行って機関銃で撃たれたとか色んなことをやっているうちに、囚人農場なんかがあるんですけど、そういう所って四駆でしか行けないんですよね。だから必死の覚悟で四駆が上手くなっちゃったっていう部分がありますよね。その後ですね、翌年にケープタウンからカイロまで、パブリカっていうクルマで縦断するんですよ。

鹿島 :トヨタの。

横田 :はい。その時に、一緒に走ったのが、FJ40っていうランドクルーザーのブリキで出来たようなやつですよね。あれのおかげでですね、解放軍に撃たれてもマサイに槍を投げられても大丈夫だったわけ。それで面白いな〜と思って四駆を始めて、それでパリ・ダカに移るまでの間ってすごい長い時間があったんですけど、たまたま自動車雑誌のカーグラフィックで見たんですけどね、ベスパが走ってたんですよ、砂漠を。

鹿島 :ええ? そんなのが出ていたんですか?

横田 :そうそう。ベスパとかね、ルノーのR21っていう1921年型のクルマが砂漠を越えていたんですよ。あれ? これだ! と思って、スターレットで行ったんですよね。それが始まりですよね。

鹿島 :クラス優勝2回、最終的に12年間出場。

横田 :リタイヤが7回ですからね(笑)。

鹿島 :過酷ですね。

横田 :どっちかっていうとリタイヤの方が印象に残っていますよね。

鹿島 :最近のパリダカといったら、片山右京選手が挑戦されたり、私たちの世代ですと大学生の頃に篠塚健次郎さんが三菱のマシンでっていう時代なんですけど、この当時、30年前のパリダカっていうのはどういう雰囲気だったんですか。

横田 :やっぱり星を見られなきゃダメだったとか、北極星の位置をちゃんとね。要するに機械を使わない世界ですから。どっちかって言いますと、前の主催者のティエリー・サビーネっていうのは、冒険を誘(いざな)ったんですね。だからレギュレーションの表紙にですね、「冒険を望むなら僕が扉を開いていやる」と。それで僕は行ったんですよね。

鹿島 :なるほどね。こういった活動ですとかポリシーや考え方が、クルマと自然と人の共生というテーマに繋がってきたということですか。

横田 :パリダカ時代にもね、森で通せんぼされたことがあるんですよ、グリーンピースに。草を痛めるからとかね。それから南アフリカの海岸の時も、海岸の草を踏むから海岸を走るなって止められたことがあるんですよね。いくつかあるんですよ、環境について。難しいところですよね。だからちょっと心のこの辺にありましたよね。




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プリウスで5大陸を走破