Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

フォーセインツ、40年ぶりの再結成!

(7月13日放送)
フォー・セインツ 志賀正浩

フォー・セインツ 志賀正浩

(しがまさひろ)

1968年「小さな日記」でデビュー、1970年代のカレッジ・ポップスをリードしたフォー・セインツのベースを担当。72年の解散後はラジオやTVの司会者として活躍、音楽プロダクション「ポルマーニ」代表として日本の音楽シーンを支えるひとり。

昨年11月、40年ぶりに一夜だけのライヴを開催。2008年5月、新曲「この街で」をリリースし、再結成を果たした。「この街で」は、全国各地の街おこしにエールを送る作品として各界からの注目を集めている

このコーナでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週は、1968年に『小さな日記』が、スーパーヒット。40年代のカレッジポップスの火付け役、この春40年ぶりに再結成、フォーセインツの志賀正浩さんをお迎えします。お楽しみ下さい


33歳でレースデビュー!
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鹿島 :今週のゲストは、フォーセインツの志賀正浩さんです。

志賀 :こんにちは。志賀正浩でございます。

鹿島 :志賀さんと言いますと、当然、音楽の世界の大御所でもありながら、なおかつ、実はレーシングドライバーとしても活躍されていたり、とにかくクルマが大好きで。

志賀 :僕はね、子供の頃からクルマが大好きで。お父さんの関係もあったんですけど、レーサーになりたかったんですよ。それで、16歳で免許を取ったんですよ、「軽免許」ってのを。それで18歳で普通免許になって、すぐA級ライセンスを取って、ジム・カーナとかヒルクライムをやって。やっているうちに、どうしてもサーキットに行きたくなってね。船橋サーキットっていうのができたので、友達と一緒に行ったのかな。でもどうしてもお金が掛かるわけですよ。アルバイトやってもとてもじゃないけど追いつかない。そのうちにフォークソングのブームがアメリカから入ってきて、自分たちもこれをやろうと。あの頃は、生ギターを持つか、エレキギターを持つか、GSに行くかカレッジポップスやフォークに行くか。我々は生ギターを持ってフォークに行ったんですよ。そしたら何かなあ、ライブをやるとお金がもらえるじゃないですか、ギャラを。それで、ああこっちのほうがいいやと。だから、いつか自分の力で、ホビーとしてレースが出来れば素敵だなと思ってたわけ。

鹿島 :なるほど〜。

志賀 :結局、だから富士のフレッシュマンレースに出たのは33歳くらいですからね。僕が一番年上ですよ。フレッシュマンレースなのに(笑)。

鹿島 :フレッシュマンレースは、いわゆる甲子園といいますか、若い、レーサーを目指すドライバーがそれをきっかけにして上への道をつかむというクラスですけど。

志賀 :はい。結局、1年やりましたけどね。

鹿島 :当時の成績はどうだったんですか。

志賀 :最後のほうは、表彰台に上がりましたよ。

鹿島 :素晴らしいですね。台数もかなり多かったんじゃないですか。

志賀 :すごい多かったですよ。40台近くいたかな。

鹿島 :表彰台、シャンパンファイト。

志賀 :シャンパンだったのか何だったのか分かんないですけどね。麦茶じゃなかったかな、アレは。

鹿島 :そんな(笑)麦茶はないと思うんですけど。

志賀 :だってフレッシュマンレースですよ。そんなカッコいいもんじゃないですよ。それで、グループAに出たくて。フォーミュラカーは死んじゃうかも知れない。むき出しじゃないですか。だからハコだったら乗りたいと思って。最後はグループAをやりました。

鹿島 :グループAといいますと、今はもう無いクラスなんですけど、今ですとGTですとかいわゆるスポーティなクルマ、あるいはセダンをレース用に改造したマシンを、国内外のトップドライバーが操ってという戦い。当時のグループAは海外からの参戦も多かったですし。

志賀 :多かった。

鹿島 :ボルボですとかね。

志賀 :そう。それからね、BMWのM3がベースのマシンとか。

鹿島 :あとはあれですよ、メルセデスの190のレースバージョンですとか。

志賀 :よくご存知ですね、さすがレーサー。

鹿島 :へへへ。いや、あの頃は憧れでしたよね。

志賀 :それで速いのは、星野、鈴木亜久里、それから長谷見さん…。

鹿島 :あとはトヨタ勢ですと、スープラで関谷正徳さん。

志賀 :関谷さんね。

鹿島 :あの当時、グループAというクラスは、いわゆるハコ型のツーリングカーの国内最高峰ですからね。

志賀 :そうですね。そこに行きたかったんですよ、どうしても。それで1年やらせてもらいましたね。それからは静かな生活に入って。

鹿島 :それ以来はレーサーとしての活動はされていないんですか。

志賀 :うん。最後はフォルクスワーゲンのポカール。あれを1年やってあがったかな。

鹿島 :フォルクスワーゲンのポカールレースには、岩城滉一さんですとか。

志賀 :岩城さんとか、稲垣潤一くんとかが出てました。

鹿島 :あの頃ですよね。あの頃は華やかでしたよね。

志賀 :そこそこね。でもフレッシュマンレースの時は、パドックのほうが人が多かったよ(笑)。

鹿島 :フフフ。と言いますと、ほとんど内輪の人ばっかりでお客さんがいないってことですか。

志賀 :ほとんどいない(笑)観客席に誰もいないんだもん。パドックだけ、やたら人がいるという、そんな時代でしたよ。でも僕はモータースポーツが大好きだったから。でもこれは年とともに反射神経が鈍くなるし、目も悪くなるし。それでだんだんフェイドアウトしていきました。でも今でもクルマは好きですよ。

鹿島 :当時はレーシングドライバーとして国内のトップクラスのレースまで経験されて、いまでも役に立っているようなことってありますか。クルマを運転する上で。

志賀 :やっぱり丁寧ですよね、一つ一つの動作が。あとは、クルマを尊敬している。

鹿島 :いいですね。

志賀 :一番困っちゃうのは、“クルマに乗せられている人”になりたくないから、ちゃんと“クルマに乗っている”。自分が乗れるクルマしか乗らない。それはありますね。そのくらいかな。そんなにあんまり難しいこと考えないから…。

鹿島 :いやあ、このゆとりが素敵ですね。

志賀 :いやいや(笑)。

鹿島 :僕なんかは、そういう質問ふられると、調子に乗って語り始めちゃったりするんですけど。やっぱりクルマを尊敬して、クルマに乗せられるんじゃなくて自分が乗れるクルマに乗るって、ボソっと言うのが…。極めている感じがヒシヒシと伝わってきますね。この後も色んな話がお伺いできそうですけど…。

志賀 :しかし、鹿島さんは早いですね、しゃべりが。

鹿島 :そうですか!?

志賀 :俺、10年くらい前だったらついていけたけど、いまはもうダメだもんね。

鹿島 :いや、そんなことないですよ(笑)。

志賀 :本当。僕も昔は早かったんですけど、アナタは早いわ。



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