Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

レーサー、モータージャーナリスト、僧侶。

(4月27日放送)
松田秀士

松田秀士

(まつだ ひでし)

龍谷大学在学中の21歳、得度(僧侶の資格を得る)。卒業後、4年間のサラリーマンを経験し26歳で上京。義兄である北野武(ビートたけし)の運転手兼付き人となる。

28歳の時、一度は諦めていたレーサーの道を歩き始め、瞬く間にトップレーサーへ。アメリカ最高峰の「インディ500」では1996年に当時の日本人最高位8位を記録、また「SUPER GT」には1994年から出場し続けている。

モータージャーナリストとしても幅広く活躍中で、2000年より日本カーオブザイヤー選考委員を務めている。

日々のちょっとした行いから健康と体力を維持するスローエイジングを提唱。いくつになってもクルマの運転は上達することを確信、そのためにはスローエイジングが近道であることなどを綴ったコラム『松田秀士の考えて走る』(レブスピード・ニューズ出版)を連載中。また、スポーツチャンネルGAORA(ガオラ)の「インディカー・シリーズ」のレギュラー・コメンテーターも務める。

1954年12月22日生 高知県出身
京都/龍谷大学文学部卒
浄土真宗本願寺派 僧侶

このコーナでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週は、北野武さんの義理の弟さんでレーシングドライバー、日本カーオブザイヤーの選考委員を務めるモータージャーナリスト、そして僧侶でもある松田秀士さんをお迎えします。お楽しみ下さい。


“世界のキタノ”との出会いがきっかけ
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鹿島 :今週のゲストは、レーシングドライバー、日本カーオブザイヤーの選考委員も務めるモータージャーナリスト、さらにインディカーレースのテレビ中継のコメンテーター、そして僧侶でもいらっしゃる松田秀士さんです。よろしくお願いします。

松田 :よろしくお願いします。

鹿島 :肩書き紹介させてもらうだけでも大変な騒ぎです。

松田 :なんかね(笑)色々バラエティに富んでいますよね。クルマのくくりと、そうじゃないくくりと、2つありますね。

鹿島 :色んなお話をお伺いしたいんですけど、まずは松田さんはあのビートたけしさん、北野武さんの義理の弟さんで。

松田 :はい。

鹿島 :実はレーサーになる前は、たけしさんの運転手を。

松田 :そうですね。ちょうど漫才ブームの頃、1980年ちょうどになったくらいの頃かなと記憶しているんですけど。僕は、京都の龍谷大学っていうところを卒業してちょっとサラリーマンやってたんですよ。その時に漫才ブームが来て、すごく忙しくなって、僕はまあクルマが好きだったんですけど、彼(ビートたけし)はポルシェが好きでポルシェを買って。非常に忙しいっていう中で「マネージャーやってみる?」っていう。マネージャーってわけじゃないんですけども、まあそういう忙しい中で、運転手でもやって東京で新しいことをはじめるっていうのもいいんじゃないかって。それでまあ出てきたんですよね。ちょうどそれが『俺たちひょうきん族』、いわゆるタケちゃんマンの頃ですよね。

鹿島 :フフフ。

松田 :あの真っ只中の頃に出てきて、2年半くらいですかね。ポルシェで運転手してましたね。もうとにかくポルシェに乗れるっていうのが嬉しくてね、その頃は(笑)。

鹿島 :うわーっ。その頃っていうとポルシェはどんな型だったんですか?

松田 :930です。

鹿島 :930。本当に、カエル目の。ポルシェの象徴みたいな。

松田 :そうです。空冷エンジンの930で。普通はね、運転手をつけるクルマっていうのは、ショーファードリブンって言いますけど、ショーファーってもうちょっと大きくて後ろにドカっと乗るクルマのことを言うんですけど、彼の場合はポルシェが好きで、隣に乗るっていう。

鹿島 :ええ〜っ!?

松田 :だから僕が運転して、その隣に乗って、それで都内のスタジオとか。当時は営業の仕事でちょっとした地方の仕事もクルマで行っちゃいましたから、長野県あたりなんかはクルマで。

鹿島 :それで、何がきっかけでレーサーに。

松田 :ゴーカートのレースを大学生の時に1年間だけやったんですよ。それでたまたまデビューレースで勝っちゃって、年間5勝くらいしたんですけど、ものすごいお金を使いまして。これはもう絶対にやっちゃいけないと思ってもう1年でやめたんですね、大学生の頃に。それからもう7年くらい何もしてなくて、それでたけしさんの運転手をやらせて頂いて。そんな時期に、たけしさんのある番組がありましてね、これは某TBS系列で(笑)で、そこのディレクターさんとたけしさんがすごく仲がよくて、いつも収録終わった後に赤坂で飲んでいたんですよ。それで、その席で「いや、ぼく明日の朝早いから早く帰るよ」って。どこ行くのって言ったらその方が「鈴鹿サーキット行って収録の手伝いするんだ」っていう話になって。そしたら、たけしさんが「こいつレース好きなんだよ、ライセンスも持ってるんだよ」ってディレクターさんに話して。そしたら、今、某メーカーがあるワンメイクレースに力を入れていると。そのレースやってみればっていう話になって。そんなことを言われてもすげえ金のかかる話だから、いやあ〜っていう感じだったんですけど、そしたら横からたけしさんが「それだったら俺が金だしてやるからやってみろよ。面白いじゃん」「イロモンのクルマが走ってたら面白れえぞ」って。

鹿島 :・・・

松田 :同時は芸能人はあんまりレース界にいなかったので。昔のオイルショックになる前は華やかな芸能人もたくさんレースに来ていたんですけど、まあレースは芸能人と縁遠い世界になっていたので。そしたら、まあやってみたら面白いよねっていう話になって、そこから始まりですね。それで富士のレースで2位になったんですね。それでその翌年に、F3やってみない? っていう話になって。F3で終わろうと思っていたんですよ、正直なところ。それでF3の3戦目の富士かな。富士に縁があるんですけど、そこでまた勝っちゃったんですよ。これは何かあるってことになって、それで3年目でF2、今で言うフォーミュラ・ニッポンですね、それに乗って。それで何か時間が経ったら今になっちゃったっていう。

鹿島 :すごいですね。




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毎晩インディを走っていた