Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

日本が誇る世界一のおもちゃコレクター。

(5月6日放送)
北原照久

北原照久

1948年東京生まれ。
ブリキのおもちゃコレクターの第一人者として世界的に知られている。大学時代にスキー留学したヨーロッパで、ものを大切にする人たちの文化に触れ、古い時計や生活骨董、ポスター等の収集を始める。その後、知り合いのデザイナーの家で、インテリアとして飾られていたブリキのおもちゃに出会い、興味を持ち収集を始める。地方の玩具店などに眠っていたブリキのおもちゃを精力的に収集し、マスコミにも知られるようになる。

そして、イベントがきっかけで、「多くの人にコレクションを見て楽しんでもらいたい」という思いで、1986年4月、横浜山手に「ブリキのおもちゃ博物館」を開館。

現在、全国6ケ所でコレクションを常設展示中。
また、平成15年11月より、フロリダディズニーワールドにて
「Tin Toy Stories Made in Japan」のイベントを開催中。
現在、テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」に鑑定士として出演中。
また、CM、各地での講演会、トークショー等でも活躍中。

公式サイト:http://www.toysclub.co.jp/

このコーナでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週は、ブリキのおもちゃのコレクターの第一人者として世界的に有名、横浜ブリキのおもちゃ博物館の館長、そして横浜人形の家のプロデューサーでもある、あの北原照久さんをお迎えします。お楽しみ下さい。


明治時代のおもちゃから
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鹿島 :今週のゲストは北原照久さんです、よろしくお願いします。

北原 :
よろしくお願いします。


鹿島 :色々とお伺いしたい話があるんですけども、まずはなんと言ってもブリキのおもちゃのコレクターとして世界的に知られる北原さんには、まずおもちゃの話をお伺いしていきたいんです。

北原 :ええ。

鹿島 :私自身もですね、物心ついた頃には必ずミニカーが手の届くところにあったんですよ。2歳〜3歳くらいからですかね。そのうちそのミニカーを収納するためのガレージを買ってもらって、そこに入れたりっていうのが原点なんですけどね。そこからクルマ好きになって、今はレースをやったりしているわけなんですけども。ブリキのおもちゃっていうのは子供の時にこう、ちょっと大人っぽいって言いますか…。

北原 :あ、そうですよね。我々の年代、僕は団塊の世代なんですけど、ブリキのおもちゃが一番全盛の時代というか。やはり戦後、今から50年くらい前はね、一番多かったんじゃないかな。もちろんブリキのおもちゃは明治時代から日本でも作られているんですけど、全盛時代は戦後、1950年代がピークですね。

鹿島 :
あの、色んなものをお持ちでらっしゃると思うんですけども、最も古いものって言いますと何年くらいのものなんですか。

北原 :
最も古いのはやっぱり明治時代ですね。1890年代くらい。まだね、ブリキとブリキがハンダで止められている。ブリキってこう、爪で折って止めているんですけど、まだハンダ止めのおもちゃだとかは結構あるんですよ。


鹿島 :当然手作りですから、そんなに数多くは生産されないわけですよね。

北原 :そうですね。本当に手作りのおもちゃというか。なぜそういうものが残っているかというと、当時、高価だったんですよ。高い。だから意外にね、例えば5月5日は子供の日じゃないですか。そういう日の節句道具と一緒に飾ったり出したりしているんですよね。

鹿島 :ちなみに、明治時代のブリキの手作りのおもちゃっていうのは、今のお金に換算すると幾らくらいのものだったんでしょうね。

北原 :相当高価でしょうね。それこそ、まあ今は色んなおもちゃがあるんですけど、本当に子供がちょっとお小遣いを貯めて買えるような感じのものもあるし。ただし明治時代のブリキのおもちゃは子供のお小遣いでは到底買えるような金額ではないですよね。やはりね、それだけ数が少ないし本当に珍しい。明治時代っていうと郷土玩具っていってね、木だとか紙だとか土だとかね、そういうもので作られたものが多かったわけですよ。それが、欧米からブリキの印刷技術だとかプレス技術が伝わってきて作ったものだから、高価なんですよ。

鹿島 :
なるほど。

北原 :
でもね、知っている方はあんまりいないと思うんですけど、日本ってブリキのおもちゃの生産国なんですよ。


鹿島 :というのは、技術的にすごく優れていたっていうことでしょうか。

北原 :そうですね。第一次世界大戦以前はやはり欧米なんですよ。それが、人件費が安くて円が安かった。そして日本人はやはりモノ作りの国なんですよ。手先が器用なんです。

鹿島 :フフフ。

北原 :これはね、僕は色んなものをコレクションしているからよく分かるんですけど、本当に日本のそういうモノ作りの技術っていうのは素晴らしいなと思いますね。それで世界中の子供は“MADE IN JAPAN”で遊んだんですよ。今はどちらかというと“MADE IN CHINA”って多いじゃないですか。でも本当に1960年くらいまでは“MADE IN JAPAN”ですよね。

鹿島 :
それが世界に色々と運ばれていたわけなんですね。

北原 :
そうなんですよ。だから今すごく嬉しいのはね、例えばサザビーズだとかクリスティーズっていうオークションがありますよね。そこですごい値段で取引されているのは、みんな“MADE IN JAPAN”ですよ。


鹿島 :刻印がされているわけですか。

北原 :そう。“MADE IN JAPAN”か、“MADE IN NIPPON”か、“MADE IN TOKYO”か。

鹿島 :はっはー! “MADE IN NIPPON”っていうのもすごいですね(笑)。

北原 :そういうのもありますよ。だから僕はそういうのはすごく誇らしげで。嬉しいですよね。


集めっぱなしの40年。
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鹿島 :ブリキのおもちゃっていうと、私はクルマのイメージが一番強いんですけど。

北原 :そうでしょうね。何かね、ブリキの素材が金属だからクルマのおもちゃっていうイメージはすごくありますよね。

鹿島 :子供の頃にですね、1940年代とか50年代の、何かのクルマのブリキのおもちゃが家にあったんですけど、今でも覚えているのはボンネットのエンジンを覆っているフードの部分の曲線! これが良かったですね。

北原 :これがね、プレスの技術なんですよ。でもブリキのおもちゃのプレスの技術は、その後の日本の全ての工業製品に発展していったんですよ。だからブリキのおもちゃのあのプレスの美しさが、その後の日本が誇るクルマ産業に発展していったという話を聞いたことがあります。

鹿島 :
なるほど! つい先日もトヨタのビッグニュースがありましたけど、原点は…。

北原 :
ブリキのおもちゃだったんじゃないかなってね。


鹿島 :フフフ。

北原 :本当にそれくらい、見事なほどのプレスの技術ですよ。

鹿島 :確かに、例えば器ですとか、焼き物ですとか漆塗りであったりとか。秀でたものがありますものね、昔から。

北原 :本当にあると思いますよ。

鹿島 :北原さんがブリキのおもちゃに、言い方は悪いかもしれないですけど、ハマったと言いますか、ここまでになる元々の原点、きっかけはなんだったんですか。

北原 :僕はね、たまたまなんですけど19歳の時に、うちは実家がスキー専門店なんですよ。それでちょうど学生時代で学園紛争が一番激しい時で、学校の授業が無いので1年間休学して、オーストリーのインスブルクっていう冬季オリンピックを2回やった場所なんですけど、そこにスキー留学したんです。そしたらね、向こうの方はとにかくモノを大切にしたり古いものを自慢するんですよ。なんか暮らしを楽しんでいる。それを見て、ああ僕も好きなものに囲まれて生活がしたいなっていうのが最初なんですよね。そこからコレクションしはじめて。あれから…そうだねえ、もう40年。

鹿島 :
うーん!

北原 :
集めっぱなしですよ。だから僕はね、全然情熱が衰えないんですよ。熱しやすく冷めにくい(笑)。


鹿島 :フフフフ。

北原 :もうね、本当に40年間コレクションしっぱなしですからね。でもすごく幸せなのはね、自分が集めたものが色んな形で評価されて、それを見て「ああ懐かしいなー」「これ持ってたなー、捨てなきゃ良かったなー」って。「でもまた出会えるとは思わなかった」とかね。「昔の友達に出会えた、そんな気がする」って言ってもらえるのが一番嬉しいですね。

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箱だけで50万円の世界。