Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

ご意見番が2006年F1シーンを総括!

(12月10日放送)
高橋浩司

高橋浩司
(たかはしこうじ)

1991年、三栄書房へ入社。
「オートスポーツ」編集部(当時月2回刊)に配属となり、F1専門速報誌「アズ・エフ」の創刊をはじめ、国内外のレース/ラリー担当を歴任。
「週刊オートスポーツ」の立ち上げに携わった後、2002年より「F1速報」(ニューズ出版刊)の編集長。2005年より「月刊 F1レーシング」日本版編集長となり現在に至る。
1967年7月17日生。北海道札幌市出身。

このコーナでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週は、この番組のF1コメンテーター!『月刊 F1レーシング』の編集長、高橋浩司さんをお迎えします。お楽しみ下さい。


皇帝の決断で忙しくなりました。
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鹿島 :今週のゲストは『月刊 F1レーシング』編集長、高橋浩司さんです。

高橋 :よろしくお願いします。

鹿島 :なんといっても今年のF1は・・・

高橋 :そうですね、一番の話題はやっぱりあれですかね。

2人 :ミハエル・シューマッハ。

鹿島 :この人は長かったですよね。

高橋 :16年のF1キャリアに今年でピリオドを打つという決断をされたイタリアグランプリからは、もう我々も戦場のような忙しさになりました(笑)。

鹿島 :高橋さんご自身は、ミハエル・シューマッハとの出会いはいつごろ?

高橋 :僕のこの業界のデビューというか、雑誌記者としてモータースポーツを追い始めたのが1991年だったんですよ。そういう意味ではシューマッハのF1キャリアとほぼダブルんです。初めて大きなサーキットに連れて行ってもらって取材をしたのが91年のSUGOのF3000レースでした。この時にわずか1戦だけでしたけど、シューマッハがその日本のF3000レースに緊急スポット参戦して、いきなり2位になったというレースだったんですけどね。

鹿島 :
あれを目の当たりにしたんですね!

高橋 :そうなんですよ。もうね、あのレースは未だに覚えているのは、シューマッハがスポット参戦なのに妙に堂々としていて、僕なんかがつたない英語で取材にいってもちゃんと答えてくれる。でも最後にポンポンっと僕の肩を叩いて「お前もっと英語勉強しろよ」みたいなね(笑) 気さくに肩を叩いて去っていく姿は自分より年下だとは思えなかったですね。

鹿島 :その後本当にまたたく間にですよね。

高橋 :もう2度とね、簡単にコメントを取れるような相手ではなくなってしまいましたからね。

鹿島 :1991年に宮城県のスポーツランドSUGOというサーキットで、日本国内最高峰のF3000、今のフォーミュラ・ニッポンの前身ですよね。当時の監督を務めていたチーム・ルマンの本間さんに一昨年、その時のことを聞いたことがあるんですけど、非常に印象的だったのが、初めて来た日本で、日本のチームでみんな日本人。英語が通じるのは監督と何人かのスタッフだけという中、全部のドライバーがもう練習や予選が終わってホテルへ帰っているのに、ミハエル・シューマッハだけはピットに残って、自分が明日戦うクルマが整備されるのを見ていたっていう話ですね。

高橋 :結構そのレースはエピソードがあって、当時、チーム・ルマンが使っていたラルトというシャシーは、レイナードという主力のものに比べてワンランク落ちるっていう風に見られていたんですよね。でもシューマッハが走って結果2位ですし。それで2位を得るために何をしたかっていうと、ジョニー・ハーバートがチームメイトだったんですけど、ずっとファクトリーに遅くまで残って、レーシングカーのフロア、空力上で大切なフロアの表面をなでて、「こっちの方がキレイだ! 平らだから取り替えてくれ」と頼んだりとか。

鹿島 :フフフ、なるほどね。

高橋 :あとは、当時の日本のF3000は予選用のスペシャルタイヤっていうのがあったので、タイヤガレージに行って1時間も2時間も予選用のタイヤの使い方を教えてくれと、ずっと浜島さん(ブリヂストン)の所に行って粘っていたとか。そういう話もありますよね。

鹿島 :当時の予選専用タイヤっていうのは、焼きたての餅みたいなタイヤで・・・変なたとえですけど。1周とちょっとしかもたない。

高橋 :そうらしいですね。

鹿島 :1周走りきって次の1コーナー行ったら、もうドロドロに溶けていてっていうくらい粘着力が強くて、体力的にも非常に扱いが難しかったって言いますけど、そういう経験がヨーロッパでは無かったらしいですよね。

高橋 :ヨーロッパで当時は無かったでしょうし、その当時の日本っていうのはそれくらいモーターレーシングに突出していたんですよね。

鹿島 :いやあ、やっぱりそのコダワリ魂みたいなものが、結果的にF1のトップに君臨し続けた彼のひとつの理由でしょうね。

高橋 :彼が弟に「日本のF3000をやったほうがいいよ」って勧めたのも、そのわずか1戦の経験から得るものが大きかったからだって言いますからね。



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