Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

バイクと共に生きていきたい。

(2月12日放送)
芳賀健輔 芳賀健輔

(はがけんすけ)

元ヤマハ契約ファクトリーライダー。
5歳でポケバイを始め、89年にロードレースデビュー。
キレのあるアグレッシヴな走行スタイルで活躍中の98年、転倒を喫し脊椎損傷を負う。しかし、レースへの情熱はやむことはなく、けがと戦いながらヤマハレーシングチームのアドバイザーとして活躍。
また、オートバイを通じた様々な社会貢献活動を行なっている。実弟は、ヤマハイタリアチームに所属し世界スーパーバイク選手権で活躍中の芳賀紀行。

生年月日/1973年6月1日
出身地/愛知県


このコーナでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週のゲストは、元ヤマハレーシングチームのプロライダー、現在もバイクを通じて様々な活動を行っている芳賀健輔さんをお迎えします。お楽しみ下さい。



子供の頃はバイクがイヤだった。
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鹿島 :今週のゲストは、元ヤマハ契約レーシングライダーの芳賀健輔さんです。よろしくお願いします。

芳賀 :お願いします。

鹿島 :バイクを愛して止まない私にとって、本当にもの凄いビッグネームで憧れの方をお招きしました。1998年に大きな事故にあわれまして、それから車椅子で生活されてるわけですけど、今でもオートバイに乗られていて。レーサーとしてあれだけのご活躍をして、現在はレーサーという立場ではなくてバイクを愛する一人の男として、やっぱりこう・・・やめられないっていう?

芳賀 :そうですね、やっぱり。5歳の頃からずっと乗ってきて、本当にバイクが生活の一部だったので。それで怪我をしてそれが無くなるっていうのが、自分では我慢できない。何かのカタチでやっぱり携わりたいし、この世界で生きて行きたいし。

鹿島 :5歳の時ってことはポケバイですよね。

芳賀 :そうですね。

鹿島 :ご家族と、弟さんも有名なライダーで、現在はヤマハイタリアのライダーとしてヨーロッパで活躍されてますけども、英才教育というか二人三脚というか。

芳賀 :うーん、まあでも弟が4歳、僕が5歳の時にはじめたんですけど、はっきりいって乗りたくなかったですよ(笑)

鹿島 :ええ? そうなんですか(笑)

芳賀 :もう、友達と遊んでたほうが面白いですからね、やっぱり。毎週日曜日に親に連れられて乗りに行ってたんですけど、もうイヤでイヤでしょうがなかったですからね。

鹿島 :じゃあきっかけは、お父さんアレやりたいよ! ってことじゃなかったんですね。

芳賀 :じゃないです。もう無理やり乗せられて。

鹿島 :「お前はライダーにするんだ」と。

芳賀 :そうですね、どっちかというと。

鹿島 :なるほどねー。いつ頃からですか、自分のモチベーションでサーキットに行きたい、走りたいっていう風になったのは。

芳賀 :中学校に入ってからかな。まあ勉強よりオートバイ乗ってたほうが楽しい頃になるじゃないですか(笑)

鹿島 :フフフ。それがプロを目指して、いわゆる“勝ちにいく”ってことに喜びですとか、満足する気持ちを見出したのはいつ頃ですか。

芳賀 :うーん、中学校を卒業して高校1年生くらい、16歳くらいですね。やっぱり免許を取れる年になった時からはやっぱり、これで行こうみたいな。これしかないんだって感じでしたね。

鹿島 :非常に、いつお会いしても本当に優しい目をされていて。

芳賀 :いやいや(笑)

鹿島 :しゃべり方もいつもソフトに接して頂いているんですけど、あのヤマハのワークスライダーだった頃の切れた感じ、スイッチが相当切り替わるタイプなんでしょうね。

芳賀 :アハハ、そうなんですかね?

鹿島 :いや、そうだと思うんですよね、本当に。弟さんもそうですけど、アグレッシブ系のライダーの象徴ですよね、お2人とも。

芳賀 :そうですね。まあ2輪のレース業界ではちょっと人とは違う、他とは違う兄弟って見られていたんで、それだけに仲間も多いけど敵も多かった。

鹿島 :なるほど。

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後悔は全くない。