Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

バーレーン、イギリス、イタリア、千葉が故郷!

(12月19日放送)
安岡秀徒 安岡秀徒

(やすおか ひでと)

4歳の時に父親の転勤に伴い中東のバーレーンに転居、その後イギリスに移り7歳の時に日本に帰国。8歳で初めてレーシングカートに出会い13歳でレースデビュー。翌年チャンピオンを獲得する。カート・ヨーロッパ選手権参戦のため高校2年修了時に退学し単身イタリアへ。翌年、イギリスに居を移し登竜門クラスで活躍。04年帰国、ルーキーながらフォーミュラトヨタの王座に輝いた。05年は、チャンピオンチームから全日本F3選手権へ参戦!

1983年7月21日 千葉県成田市生まれ・浦安市在住。
身長:168cm、体重:63kg、血液型:B+

安岡秀徒ホームページ

このコーナでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週のゲストは、幼少の頃から中東バーレーン、イギリス、イタリア、そして千葉と国内外を飛び回ってきた、2004年のフォーミュラトヨタのチャンピオン。2005年シーズンはF3のチャンピオンチーム、あのインギングから全日本F3選手へ出場する、日本期待21歳のレーサー、安岡秀徒選手をお迎えします。お楽しみ下さい。



17才で単身イタリアへ、そして泣いた。
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鹿島 :今週のゲストは安岡秀徒選手です。よろしくお願いします。

安岡 :はい、よろしくお願いします。

鹿島 :いやー、なかなか紹介するにも、色んな所に住んで活躍した経験があるので大変です。

安岡 :そうですね。3歳、4歳の頃から海外だったので。

鹿島 :ちなみに、最初が中東のバーレーンですか?

安岡 :最初がバーレーンです。父が航空会社に勤務しておりまして、その関係で。バーレーンから直接イギリスに行きましたので、最初に習ったのが英語という。

鹿島 :でもそれはレーシングドライバーとしては非常にいい環境ですね。

安岡 :そうですね。自分で考えても、相当ラッキーな選手だと思います。はい。

鹿島 :バーレーンと言いますと、ちょうどF1が開催されるようになりまして、先日もF3の世界一決定戦が初めて開催されて。そういう意味ではタイミング的にも?

安岡 :そうですね。なんかただならぬ縁を感じますよね。

鹿島 :その後はイギリスに行って、何年間?

安岡 :イギリスは合計で2年半。その後は小学校1年生の2学期から日本に戻りまして。それから高校2年で、僕は高校を辞めてイタリアに行きましたので。

鹿島 :これがレーシングカートのヨーロッパ選手権。そこからF1へ!という人がもの凄く多いレースですよね。

安岡 :そうですね。だから僕も、ジェンソン・バトンとかヤルノ・トゥルーリとか、カートから直接F3で活躍というのに憧れてヨーロッパに渡りました。

鹿島 :当時、レーシングカートの時代は10代ですよね。

安岡 :17歳です。

鹿島 :これは1人で? どこに住んでいたんですか。

安岡 :1人です。ビレルというカートの会社のすごく近くで。先輩の日本人のドライバーと2人暮らしで。かなり楽しかったですね(笑)。

鹿島 :どんな生活スタイルだったんですか?

安岡 :ええ・・・と、言えないようなことも結構あったりしますけれども(笑)たくさん怒られて。はい。

鹿島 :色んな経験をしたという。

安岡 :そうですね。僕は凄い生意気でしたので、そこで初めて尊敬できる先輩と一緒に住めて本当に良かったと思っています。

鹿島 :ちなみにその先輩は?

安岡 :梅垣博至選手です。

鹿島 :あっそうですか。速くて・・・

安岡 :そうですね。速くて面白くて。

鹿島 :面白くって(笑)その生活は何年間くらい?

安岡 :1年間くらいですね。僕は行ってすぐに骨折してしまって。結局イタリアに行っても、あまりベッドから出られないような状況でしたので。まあ凄く悔しかったけど、その分そういう先輩がいたので凄く勉強になった年でした。

鹿島 :期待されて、本人も将来への期待をして行ったイタリアで、序盤で怪我をしたっていうのは、今振り返るとどうですか?

安岡 :そうですね、もの凄く憧れが強かったんですよ、ヨーロッパ選手権というものに対して。それが行ってすぐに、しかも開幕戦の予選で骨折しちゃったんですね。なので本当に悔しくてどうしようもなくて、うん。物語みたいですけど本当にトラックの隅で泣いていましたね。

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本場イギリスで自分を磨いた。