Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

ラジコン世界チャンピオン登場!

(10月10日放送)
広坂 正美 広坂正美

広坂 正美(ひろさか まさみ)

1970年(昭和45年)2月26日生まれ 34歳

R/Cカーレース歴26年
ラジオコントロールカー模型 製造発売元 株式会社ヨコモ勤務営業部に所属し、広報活動の一環でチームヨコモに所属、ヨコモの広告塔として世界各国のレースに参戦中。5歳の時にR/Cカーと出会い、7歳の時に参加したレースで初優勝、その後16歳で全日本チャンピオン、そして17歳で世界チャンピオンを獲得し、世界タイトルを守り続けて17年、今尚記録更新に向け、意欲を燃やし続けている。

主なレース戦歴(2004年10月13日現在)

世界選手権優勝  13回
全日本選手権優勝 47回
全米選手権優勝   7回
全豪選手権優勝   2回
香港選手権優勝   5回
マレーシア選手権   1回
その他の国際レース優勝  37回
その他の公式レース優勝 146回
合計優勝回数259回、準優勝44回、3位21回、4位以下41回 総合公式戦優勝回数 365戦中 259回  70%
3位以内入賞回数 365戦中 320回  87%

公式サイト:http://www.fullthrottlespeedway.com
速報サイト:http://www.rcmx.net/


このコーナでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週のゲストは、ラジコンカーの世界チャンピオンです。世界選手権を実に13回も制覇している広坂正美選手をお迎えしてお送りします。



勝たなければならない理由があった。
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鹿島 :今週は世界チャンピオンをこのスタジオにお招きしています! ラジコンカーで13回も世界大会を制しているチームヨコモの広坂正美選手です。よろしくおねがいします。

広坂 :よろしくおねがいします。

鹿島 :ラジコンと言えば…僕も小学校2年生くらいのときに、F2というヨーロッパを中心に行われているレースのラジコンを買いまして、一時期ハマりました。でも到底あれで世界に打って出るなんて夢にも思いませんでしたね。今日はいろんなお話しを聞かせてください。まず初めてレースに出たのは?

広坂 :7歳です。その時に初めてレースに出て優勝しまして、そこから始まりました。

鹿島 :7歳の時に一緒レースに出ていた人たちっていうのはどういう?

広坂 :クラスが小中学生クラスと一般の部に分かれておりまして、父親が一般の部で優勝。僕が小中学生の部で優勝したんです。

鹿島 :どんなレースだったか覚えてますか?

広坂 :ほとんどオーバル(楕円形のコース)なんですね。オーバルよりちょっと変形しているんですが、それを3周回ってタイムが速かった人が1位と。1回で走るのは5台とかなんですが小中学生は50〜60名だったと思います。

鹿島 :それからどういう道のりで世界へ行ったのかが興味深いんですが、そのころにはこの世界でやってこうと?

広坂 :はじめは本当に趣味で。父親も趣味で始めたんですが、数年して父親がラジコンカーを作る仕事を始めたんです。その父親が作ったクルマで僕がレースに出て、そこで成績を残せばそのクルマを宣伝できるわけですよね。そして地元の模型屋さんを通じてオリジナルのクルマを販売していたというのが始まりですね。

鹿島 :親子二人三脚でやっていくっていうのは素敵ですよね。でも逆にプレッシャーだったんじゃないですか?

広坂 :うん。やっぱりありましたね。裕福な家庭ではなかったので、商品が売れてくれないことには次のレースにも行けませんし。上のレースを目指そうということになると資金がついてこない。プライベートですからスポンサーもついてないし自力でやるしかなかった。それが小中学生の頃。はじめは地元・関西の京都・大阪・神戸…そのあたりで活動していて、名前を売って商品を売って。

鹿島 :はい。

広坂 :そして次に全国大会があることを知りまして、それに挑戦することになったんです。それが中学・高校生くらいのころ。何度か挑戦するんですがなかなか勝てなくて。それでも5回目の挑戦で初めて日本チャンピオンになったんです。その時もほとんどプライベートの状態。他の人たちはタイヤも新品をどんどん使えるんですが僕たちは新品は使えないので、前年の選手権で捨てていったタイヤを拾ってずっと使っていくんです。

鹿島 :えぇー?

広坂 :そういう状態で大会に行くわけですからスピードは負けるんですが、僕はスピードが遅いということを認識していたのでコーナーで稼ぐしかないと。だから人一倍イン側を走れるような練習を続けてきました。

鹿島 :短い距離を無駄なく通って…という感じですね。

広坂 :はい。当時の全国大会のルールは“限られた時間の中を何周走れるか”ということで、8分間というタイムがあって、そのタイムの中で速いスピードで走らなければいけないんですね。でもスピードを上げるとバッテリーがもたない、かといって遅いとタイムがでない。ですから最短距離を走れば一人だけ短い距離ですむわけです。そこを狙って、とにかく直線では抜かれるけどカーブで抜き返すというスタイルでやってきまして。

鹿島 :カッコイイですね。

広坂 :それでチャンピオンになりましたので、すごくインパクトも大きかったですしスポンサーもつくようになりました。そこから世界選手権に挑戦できるようになっていったんです。


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ラスベガスで打ちのめされた。