Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

やるなら徹底的に! 実践派ジャーナリストの心意気。

(4月25日放送)
石見周

石見周

(いしみ おさむ)

1956年11月3日 東京生まれ

1984年に広告代理店を退社。本格的にモータースポーツ業務を行う為に日本国内のみならず、英国、米国にも渡りモータースポーツのあり方を勉強。レーシングチームのマネージメントを専門とする一方で、チーム監督やドライバーマネージメントも担当。 また、自動車メーカー主催のドライビングレッスンの講師も務める。ジャーナリストとしては、NHK、日本テレビのアメリカンモータースポーツ解説、 報知新聞や多数のレース雑誌で活躍。わかりやすく、楽しくをモットーとしてモータースポーツファンの醸成に力を注ぐ。ニックネームはレーシングパパ。


このコーナーではレース関係者はもちろん、車を愛してやまない各界の有名人をゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなどその人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週は、レース取材歴22年、1年間にアメリカと日本の間を30往復し、アメリカ最高峰の自動車レース、IRL=インディカーシリーズをフルカバー。テレビの解説でもお馴染みのモータージャーナリスト、石見周さんです。どうぞお楽しみください。


たった2周でコースレコード、セナにしびれた。
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鹿島 :今週のゲストは石見周さんです。よろしくお願いします。

石見 :よろしくお願いします。

鹿島 :先日、ツインリンクもてぎでインディ・ジャパンが行われました。大観衆でしたね。

石見 :2年目でここまで盛り上がってくれるとは思わなかった。日本のモータースポーツファンも、だんだんアメリカのモータースポーツに慣れてきたという感じがするよね。

鹿島 :そうですね。石見さんがモータースポーツを取材するようになったキッカケは何ですか?

石見 :僕は生まれが千葉県の船橋の方なんです。父親がモータースポーツが好きで、子どものころから船橋サーキットに連れて行ってもらっていたんですね。それで、自分はこの世界で生きていくんだ!って子ども心に思っていたんです。小学校の卒業文集にも、せこいのだけども、「F3ドライバーになる」とか書いてある。後で思うと、どうせならF1って書けって言いたいね。フフフ。

鹿島 :フフフ。細かいですね。

石見 :僕も友達もレースをやっていたんだけど、やっぱりモータースポーツはお金が掛かるから、バックアップして下さる企業の方とか、そういうのが一番大変。最終的に仲間の中で一番速いやつをサポートしてF3のチームをみんなで作ってレースに出ようという話になったのがキッカケです。

鹿島 :実際にそのチームで活動をされたんですか?

石見 :ええ、しましたよ。俗にいうフォーミュラ・ジュニア、FJから入って、その友達はチャンピオンを取ってくれて、F3に行くという時に、まぁ1回ぐらいは世界最高峰の走りを見よう、ということで1983年にマカオグランプリに行ったのが僕の始めての取材なんです。

鹿島 :このときは誰が走っていましたか?

石見 :なんと、あのアイルトン・セナがイギリスでグランプリを取って鳴り物入りで来ていたんです。その時の1位、2位、3位はすごくゴージャスですよ。1位がアイルトン・セナ。2位がロベルト・ゲレーロ。3位がなんとあのゲルハルト・ベルガー。これが1、2、3だったんです。もうね、その走りを見て、これは俺達の世界じゃないなという感じはしましたね。

鹿島 :このころのセナは、どんなマシンだったんですか?

石見 :俗にいうまだ、プッシュ・ロッドとかじゃなくて、スウィングアームのラルトのRT3だったと思います。トヨタのエンジンを載せてね。それで、初めて来たマカオの市街地のサーキットを、2ラップ目でいきなりコースレコードですからね。天才ですよ。そこが何となく神がかり的な感じ、今までレジェンドを生み出しているゆえんだと思うんですけどね。

鹿島 :すごいですね。ちょっと驚きますね。

石見 :ええ。なんかセナに魅せられちゃって、日本に帰って来てからのレースでいきなり勝ったりとかね。何ていうのかな、見てイメージするということは、モータースポーツではとても大切だなあと思いますね。




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