Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

「ゴールしたら引退しよう」いつもそう思っていた。

(4月4日放送)
谷川真理

谷川真理

(たにがわ まり)

アミノバイタルAC所属
福岡市出身

1991年東京国際女子マラソンをはじめ、国内外の数々の大会で優勝。 市民ランナーの星として多くのファンから愛されている。 解説者、指導者としても活躍中で、東京神田のハイテクスポーツ塾では 最新の理論と施設で、未来のオリンピックアスリートを育成中。

【主な著書】
「谷川真理のランニングフィットネス」(学習研究社)
「走って、食べて、ヘルシーライフ」(PHP出版)

【オフィシャルサイト】
http://www.tanigawamari.co.jp/


このコーナーではレース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなどその人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週のゲストは、マラソンランナー、解説者、指導者、そしてタレントでもある谷川真理さんです。どうぞお楽しみください。


馬にニンジン。
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鹿島 :今週のゲストは、このお方です。

谷川 :谷川真理です。こんにちは。よろしくお願いします。

鹿島 :よろしくお願いします。谷川真理さんは陸上競技からいったん離れてOLをしていらした。24歳ぐらいの時に市民ランナーとして初めてフルマラソンに出場。その時の順位が36位。初マラソンが20代半ばというのは、アスリートとしてはかなり遅いスタートですよね。

谷川 :そうですね。遅いですね。普通は引退するような年代ですからね。ちょうど今ぐらいの時期です。お花見に行こうと誘われて皇居のあたりに行ったんです。あのあたりはお昼休みにたくさんの方が走られているんですね。花見に誘われて行ったら、ホントにたくさんの人が走られていたんです。それを見て、じゃあ私も明日から走ってみようと思ったのが、キッカケだったんです。

鹿島 :そうなんですか。

谷川 :中学・高校時代は陸上部だったんです。400mと800m、中距離を。でも先生にやらされているという感じで、自分の意思ではほとんど走っていなかったです。それでも高校の3年間は続けました。なぜかと言いますと、中学時代は非常に練習が厳しくて途中で辞めてしまったんです。だから、なんか悔いが残ってしまって、高校に入ったらどんなに厳しいトレーニングだったとしても3年間続けようと思って入部したんです。

鹿島 :もしかしたら、タイムを追い求めるというよりも、きっちり続けてやり遂げるというほうが目的だったのですか?

谷川 :そう、まさにそうです。高校時代はそうだったの。厳しいトレーニングでも続けるのが目標だから。指折り「あと、何日で引退できるんだ!」とね。そんな感じでやっていました。

鹿島 :そのあと、いったん陸上から離れて、24歳で皇居を走る人たちを見て走り始めて、1988年に初マラソン。その2年後の1990年の東京国際女子マラソンで日本人最上位の3位。…天才ですね。

谷川 :いや〜。全然、天才じゃないですよ。ただ、“馬にニンジン”です。フフフ…

鹿島 :その時の、“ニンジン”は何だったんですか?

谷川 :当時、皇居で走っていたある男性ランナーが、「あなたはいいペースで走っていますね」と言われたんですね。その方から、都民マラソンというのがありまして、「そこで日本人でトップになったら、シドニーのシティー・トゥ・サーフマラソンに派遣させてくれますよ」という話を聞いたんです。うわぁータダでシドニーに行けるんだ!と思いまして、もうそれから皇居をいきなり2周走るようになったんですよ。お昼休みにね。まあ皇居1周5qですけどね。それを10q走っちゃうんですよ。

鹿島 :お昼休みにですか。すごいOLだったんですね。

谷川 :もうその方の話を聞いてからは、ホントに頑張りましたね。それでタダで行っちゃいました。このシドニーに行けたということが、私にとってはとてもうれしかったですね。そのあといろいろな雑誌を見たら、「このレースに優勝したらボストンマラソン派遣」とか、「サンフランシスコマラソン派遣」とか書いてあるので、全部タダで行っちゃおうと思って、また、一生懸命練習をやりました。ボストンにもタダで行かせてもらいました。

鹿島 :素晴らしいですね。

谷川 :それがあったから、私はすごく強くなりました。高校時代は先生にやらされていた。でね、同じ走ること、同じ谷川真理。こうも違うものなのかと思ったら、結局、目標なんですね。




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プロフェッショナルランナーとして。