Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

編集長、驚愕のカーライフ!

(12月7日放送)
飯田一
飯田一

(いいだ はじめ)

1948年2月2日 東京都生まれ。
1972年2月、三栄書房に入社。格調高き『MOTOR FAN』編集部に配属され、自動車雑誌の王道をいく同誌で編集部員として活躍。ロードテストはもとより、偏平タイヤやアルミホイールを業界1番乗りでテスト。第1次スーパーカーブームではマニアックな切り口で紹介し、やがて『GENROQ』へと継承。70年代後半から80年代に掛けては『AUTO SPORT』編集部も経験。
さらに、ヨーロッパのチューナー最前線を報じた『Special Cars International』の編集長。『GALS PARADAISE』の創刊号も第1編集企画部時代に手がけた1冊。そして2003年10月、三栄書房の50周年記念企画、自動車情報事典『大車林』を刊行。趣味は自転車、模型、ヒストリックカーなど。

このコーナーではレース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなどその人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週のゲストは、先週に引き続きまして、先月創刊されましたクルマ版『imidas』ともいうべき自動車情報事典『大車林』の飯田一編集長です。じっくりお楽しみください。


彼女は山のように・・・。
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鹿島 :今週も、飯田一編集長です。よろしくお願いします。

飯田 :こんばんは。よろしくお願いします。

鹿島 :飯田さんは、相当なクルマ好きだとうかがっております。今日は、大切なアルバムの一部をお持ちいただきました。1965年のべレットGTから始まっていますね。

飯田 :普通免許が取れるようになりまして、最初に手に入れた車が、濃紺のべレット1600GT(PR90)でした。

鹿島 :これは、だいぶカスタマイズされていますね。車高もかなり低いですし…

飯田 :その当時は、全部フェンダーミラーだったので、それを板金で埋めましてドアミラーにしました。サスペンション自体をいじるのが好きだったものですから、買って1週間後には車高を下げちゃいましたね。

鹿島 :このころ、この手のクルマは、リーフスプリングではないんですか?

飯田 :要するに、べレットを購入したのは、オール・インディペンデント、4輪が全部独立懸架であるというところが、ひとつのポイントだったんです。それと、ラック・アンド・ピニオンのステアリングが、どうしてもこだわりたかったところですね。

鹿島 :あと、1968年のミニクーパー。それにマークU。これらも飯田さんの?

飯田 :そうです。その当時ジムカーナをベレットでやっていたのですが、どうしても、オーバーオール、総合優勝ができなかったのです。ミニは速いですよね。速いクルマは自分で乗ってみないとわからないな、ということで、どうしても手に入れたかったのです。

鹿島 :それで、総合優勝できましたか?

飯田 :いや、残念ながら遊びでばっかり使っていて、全然、ジムカーナでミニを使ったことがないんですよ。

鹿島 :そうですか。ジムカーナは、腕を磨くにはよかったんではないですか?

飯田 :一番でしょう。短い時間で勝負が決まるし、タイヤもそんなに減るわけじゃないですから。比較的、お金も掛からないでできるモータースポーツということで、入りやすい競技でしたね。

鹿島 :どのくらいやられたのですか?

飯田 :真面目じゃなかったものですからね。勝てそうなイベントばっかりを狙って出場していたという感じでしたね。そのあとに、日本スポーツカークラブ・SCCJというものに入って、散々遊びました。

鹿島 :当時は、相当ハイカラな遊び人系ですよね。彼女は何人ぐらいいらしたんですか?

飯田 :いや〜クルマが彼女ですから。

鹿島 :フフフ。上手いですね。




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同じクルマを3台、たちの悪い趣味です。