Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。
マイク眞木 レースは、壮大な音楽だ!



チーム監督時代の思い出・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

鹿島 :富士スピードウェイがつい先日の9月に、37年間の歴史にいったんピリオドを打ちました。その富士スピードウェイができて初めてレースが行われたのが、1966年なんですよ。マイク真木さんは1966年にデビューですが、そのころサーキットにレースを観に行かれたりはしましたか?

マイク :僕はそのころ、なぜか富士のグラチャンなんかで、チーム監督というものをやっていたことがあるのよ。

鹿島 :チーム監督ですか?

マイク :同級生に、米山という遅いレーサーがいたの。本当にいつもビリを走っていたの。それで、たぶん俺がチーム監督になれば、スポンサーが取れると目論んだんだな。ほんのちょっと商品提供みたいなのが付いただけで、全然つかなかった。

鹿島 :はい。

マイク :富士にはグラチャンで何度か通いました。でもチーム監督といっても、何にもやることはないんだけどね。ただ弁当をピットの連中に配ったりとかね。

鹿島 :どんなカラーリングのどんなマシーンだったのですか?

マイク :チェックに塗っていましたね。

鹿島 :チェックに。走るチェッカーフラッグだったのですね。

マイク :チェックといっても、イタリアンレストランの赤・白のテーブルクロスみたいに塗ったりとか。スポンサーがいないから、スポンサー名が書けないんですよ。そういうのもあったし色々ですね。いつも最後のほうを走っていました。

鹿島 :レースの雰囲気ですとか、匂いはいかがですか?

マイク :僕にとっては、スタート前のあのエンジンが一斉にかかるでしょう。あれが音楽なのよ。これが好きなの。もう鳥肌が立っちゃうのよ。あれは、どんな音楽家も演奏できない。誰も譜面に書けないね。

鹿島 :確かにそうですね。

マイク :あれが、一斉に、“グワァ〜ン”と鳴りはじめるでしょう。僕はそれが好きなの。それだけでいいの。走りなんてどうだっていいのよ。スタートしちゃった後に、だんだんマシーンがばらけてきて、目の前を“ヒューン”と通過していくでしょう。あれも音楽なのよ。遠くのほうから、“クーン”と聞こえてきて、目の前を“スパーン”と行くでしょう。もう音楽!

鹿島 :調子のいいエンジンも、悪いエンジンもアクセル踏んでいきますね。

マイク :そうそう。“ポトチュポ、ポトチュポ…”いいながら行くのも、一種の音楽よ。

鹿島 :一台一台に表情がありますよね。

マイク :凄い表情があるの。その後に匂いが少し、“プーン”とね。好きだなあ。それはバイクでも同じです。2ストのエンジンが好きだったなあ。モトクロスなんかで一斉に、“グワァーン”とスタート前にみんながアクセルを上げながら高くなってくるでしょう。もうダメ。

鹿島 :ラリーは、「BAJA1000」というメキシコの有名な過酷な大会にバイクで4回出場されていますよね。あれは、ものすごくタフなレースだと聞いているのですが?

マイク :はい。4回出て、全部 無事完走しました。俺は平坦なところをなるべく選んでその箇所を走ったんですけど、夜中まで掛かっちゃって、迷子になっちゃったりとかしました。途中で雨が降ってきたり、色々なことがありました。まあ過酷は過酷ですけど、なるべく楽しむようにしました。あれは一種のお祭り気分で楽しいですよ。





亜久里がライバル。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

鹿島 :ご自身で、サーキットとかを走られたことはあるんですか?

マイク :カートレースをちょっとやったことがあります。所沢のサーキットでね。鈴木亜久里が中学生のころです。俺が1周する間に、3周ぐらい抜いていきました。鈴木亜久里の親父さんに色々と面倒を見てもらって、やっていたこともあるな。

鹿島 :鈴木亜久里さんのお父さんといえば、スパルタサーキットパパぶりが伝説のようになっていますけど、当時はどんな感じでしたか?

マイク :いや、俺にとっては優しい先輩でしたよ。

鹿島 :それから、ポケバイの青木3兄弟ともポケバイを一緒にやっていらっしゃったそうですね。

マイク :大会の会長をやっていてね。青木3兄弟はまだ小学生だったかな。結構…速かったですよ。

鹿島 :お父さまが、ご自宅にポケバイのコースを作っちゃったんです。

マイク :やっぱり入れ込んでたね。親父がいけないんだね。大体、親父が自分の夢を子供に押し付けちゃうから。ダメな親父が多いなあ。でもそういう親父が必要です。

鹿島 :必要ですよね。そういうマイク眞木さんも、アーテイストであるお父さまの影響を受けられているんでしょうね。

マイク :俺もね、結局は親父の影響が強いですね。舞台美術家だったものですから。

鹿島 :相当なハイカラな遊び人だったんでしょうね。

マイク :う〜ん、今考えればそうかな。明治の男にしては、色々モダンなことをやっていたね。

鹿島 :来週はアウトドアのお話ですとか、ライフスタイルについてお話をお伺いします。よろしくお願いします。ありがとうございました。

マイク :わかりました。お願いします。






今週のゲストは、1966年『バラが咲いた』でデビュー。
バイク、クルマ、アウトドアライフをこよなく愛する爽やかないぶし銀、
マイク真木さんをお迎えいたしました。

ドライバーズサロン!
来週もマイク眞木さんを迎えいたしまして、お送りいたします。
どうぞお楽しみに!!



back page home