鹿島 :まずは、先日この番組のゲストにもお越しくださいました、富士スピードウェイでの実況を1966年からを担当していらしたケン田島さんです。イベント当日のスペシャル実況を終えてこんなコメントをくださいました。
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田島 :富士スピードウェイに戻ることができて本当に感無量です。1966年、昭和41年と申しますと、冷房も暖房もないので夏は暑くて冬は寒い、エンジンの爆音のために窓も開けられない、そんなコントロールタワーで場内アナウンスをしていたことを思い出します。コントロールタワーはまだ建っていますが、もう使われておりません。今日行ってみて涙が出ました。感無量でした。それから、今日登場した昔のマシンは素晴らしい、やはり美しいマシンでした。これが富士を走っていたんだという事実を確認できただけでも、じゅうぶんに来た甲斐があったと思っております。2005年の富士再開のときにまたこういったイベントを開催していただきたいと、みなさまにお願いしたいくらいです。もう一度古いクルマの走りを見て昔を思い起こしたら、未来に向かってどう進んでいったらいいか、その方向づけに役に立つのではないかと思うのです。 |
鹿島 :この日サーキットを沸かせたイベントに、「富士マスターズ250s」があります。往年のドライバーと若手ドライバーが組み、懐かしいル・マン方式で競うこのレース。ドライバーのみなさんは富士スピードウェイでの最後の走りを思い思いに楽しんでいらっしゃいました。そしてこのレースが行われた後、鈴木亜久里さんと関谷正徳さんにコメントをいただきました。
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鈴木 :久々に先輩たちと会えて、一緒にレースができて非常に楽しかったです。以上。ハハハ。
関谷 :おもしろい、楽しいイベントでしたね。まあ、僕は富士がホームコースで、この富士スピードウェイがなかったら僕はいなかったという感じですから、思い出はありすぎるほど。本当に寂しいです。寂しいですけれど、新しくなること、よくなることに対しては僕たちもすごく期待しているので、そういう意味では新しい富士というものを楽しみにしたいと思っています。 |
鹿島 :そしてこの日、実況席からは特別解説として、またイベントのグランドフィナーレでは歌を披露してくださったrumicoさん。閉会式での「ふるさと」を聞いて、胸に込み上げてくるものがあった方も多かったのではないでしょうか。
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rumico :もう今日は最高です! クルマが好きで、レースが好きで、いつもテレビでしか見られなかった富士スピードウェイを目の当たりにすることができて、本当によかったです。おまけに久しぶりに中嶋さんともお会いできましたし、鈴木亜久里さんの走りも見られましたし。それから往年のチャンピオンの方々の走りまで見られて、最高の思い出になりました。もっともっとクルマを好きに、レースを好きになりました! わたしは2005年、この富士スピードウェイに必ず戻ってこようと思います。将来の夢がひとつ増えました。それは・・・チーム監督! クルマの監督をやることです!! どなたか、わたしを監督に使ってくださるお金持ちのスポンサーはいらっしゃいませんか?(笑) |
鹿島 :それから、当日は各方面かクルマ好きの方がたくさんいらっしゃっていました。元JUDY AND MARYのリーダーで、現HOT ROD CRUEの恩田快人さんもそのひとりです。
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恩田 :今日は「富士スピードウェイ・フィナーレ」に来ました。すごく白熱したレースで事故も起こりそうになったけど、ドライバーの方はちゃんとぶつけずに走っておられました。興奮してみんな大声を上げていましたね。ホント楽しかったです。あと、このイベントが終わったらコースが開放されるみたいなので、ちょっと歩いてみようかなと思います。楽しんでいこうと思っています。 |
鹿島 :このほかにもたくさんの方が「富士スピードウェイ・フィナーレ」を楽しんでいらっしゃいました。みなさんありがとうございました! 当イベントのプロデューサーとして、すべての方に心からお礼を申し上げます。
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