Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

富士スピードウェイは、青春そのもの。

(9月14日放送)
ケン田島 ケン田島

ケン田島(本名:漆原一郎)
1930年(昭和5年)10月20日、英国はロンドン生まれ。
戦後、連合軍総司令部検閲局出版物検閲・翻訳、在日米国大使館広報文化局ラジオ・テレビ部、広告・PR部等への勤務を経て、1976年からラジオ関東(現ラジオ日本)で「ポート・ジョッキー・ショー」のDJを担当。TBSでアポロ11〜17号の打ち上げ生中継の同時通訳も務める傍ら、富士スピードウェイで長年実況を担当。無類のクルマ好きとDJ調のおしゃれな語りに、当時のモータースポーツファンから絶大な人気を誇る。現在は東京杉並区のアオパージャパンインターナショナルスクールに勤務。紳士なおしゃべりとクルマ好き、モータースポーツ好きは今も変わっていない。

このコーナーでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週のゲストは先週に引き続きまして、バイリンガルDJ、ディスクジョッキーの草分け的存在としてラジオで一世を風靡、1960年代からサーキットの実況アナウンサーとしてもご活躍されました、ケン田島さんです。じっくりお楽しみください。


目を閉じれば、名ドライバーたちが・・・
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鹿島 :今週のゲストも、このお方です。

田島 :ケン田島です。こんにちは。よろしくどうぞ。

鹿島 :よろしくお願いします。ケン田島さんは当時、『ポートジョッキー』という番組を担当されていましたよね。この番組のスタッフにも大ファンがおります。それで、たってのお願いなのですが、当時のオープニングテーマをおかけしますので、曲紹介をしていただけないですか?

田島 :いいですよ。あの曲は「Among My Souvenirs」といってビリー・ヴォーン楽団が演奏しているんですが、スローなロックで非常にいい曲ですね。日本語名は「想い出のうちに」などいろいろな訳があります。また歌詞も素晴らしいんですよ。

鹿島 :そうなんですよね。ではここからマイクをお渡ししますので、当時の雰囲気でお願いします。

田島 :Good eveninng, ladies and gentlmen...

鹿島 :すてきです! ありがとうございます。さて、今週も富士スピードウェイの思い出をうかがっていきたいと思っております。実況で関わったドライバーの中で、今でも世界のモータースポーツシーンで活躍されている方もいらっしゃると思いますが。

田島 :いらっしゃいますね。ただ最近は二世ドライバーが台頭してきましたね。たとえば黒澤琢弥さん、星野さん、中嶋さん。それから柳田さんもご子息がやっているんだそうですね。わたしはどちらかというと、お父さんたちの時代の人間でございます。時代といえば、黒澤元治の時代がありました。そのあと高原敬武、星野一義の時代がありました。そのほかにもたくさんいいドライバーがいましたね。和田孝夫の追い上げなんかもすごかったですね。

鹿島 :何か思い出のシーンがございますか?

田島 :いつ・・・と言われると困っちゃうんです(笑)。ピットストップかなにかで最後尾になってしまったんですね。それで、レースが終わるまでに2位まで追い上げた、ということを覚えていますね。すごかったです。本当にすごかったです。

鹿島 :9月15日に開催される「富士スピードウェイ フィナーレ」イベントには、現役ドライバーと歴代ドライバーがタッグを組んで行う「富士マスターズ250s」というレースがあるんです。このレースは、その当時あった「富士マスターズ250q」というレースの名前をもじって、3人のドライバーの体重を合わせると250sくらいになるよう設定したレースなんです。これには、そうそうたる面々が出場します。久しぶりにハンドルを握られる方も多いんです。あと、先ほど出ました二世ドライバーら、息子さんの世代も出場します。柳田春人選手の息子さん、柳田真孝選手にも来ていただき、親子でタッグを組んでもらうんです。これはぜひ実況でも盛り上げていただきたいところです。

田島 :ハハハ、素晴らしいですね。それは楽しみです。

鹿島 :富士スピードウェイといいますと、伝説の30度バンクがあります。先日、取材で初めてバンクを途中までですが走ってみたんです。ところどころに草がコンクリートを割って生えてきているんですが、わりとキレイでした。感動しましたね。

田島 :そうですか。

鹿島 :それから、'90年代の前半にはインターF3というF3の世界大会が行われまして、そこには、かのミハエル・シューマッハも出場していましたよね。

田島 :あのときシューマッハはマカオで優勝して富士に来たわけですよね。そういえば、あのときも場内アナウンス、表彰式の司会、それから優勝者の記者会見の通訳ととても忙しかったんですよ。レース前のドライバーズミーティングの通訳もやっていましてね。でもやっぱり、レースのあの独特の雰囲気は素晴らしいですよ。最近は本当にご無沙汰していて、申し訳ないような気がします。まあ、実は富士スピードウェイには必ず家内が一緒に行っていまして、ラップをつけてもらっていたんです。

鹿島 :えっ、奥様がラップを?

田島 :ええ、一番信用できたんです。最初の頃は、こう言っては申し訳ないんだけど、JAFのラップの表を持っていったんです。そうしたら、コントロールラインを通過した順番が書いてあるだけなんですね。周回遅れも何も書いていないんですよ。それで、怒鳴りつけたことがあるんですがね(笑)。

鹿島 :そうなんですか。そして、その後はずっと奥様がラップをおつけになられていたんですか。今回も久しぶりに奥様がラップをおつけになられる・・・?

田島 :うーん、今回はどうかな。もうダメだって言うでしょうね(笑)。いま自宅にストップウォッチが1、2、3・・・7〜8個くらいありますよ。アナログ、手巻き式から始まりまして、各時代のものがあります。ハハハ。



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真空管とお弁当・・・。