Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

若者たちよ、世界を目指せ!

(6月8日放送)
影山正彦 影山正彦

1984年富士フレッシュマンシリーズでデビュー。86年に同シリーズTC130クラスでシリーズチャンピオンを獲得。翌年、全日本F3選手権へステップアップし、3年目の90年には悲願のチャンピオンに。その後、現在に至るまで国内トップドライバーとして活躍。今シーズンはスーパー耐久シリーズで影山道場を主宰、世界に通用する若手ツーリングカードライバー育成に尽力している。1963年神奈川県出身、愛車はトヨタ・セルシオ。

このコーナーでは、レース関係者はもちろん、車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週のゲストは、1984年のレースデビュー以来、F3、F3000、GT、ル・マンなど数々のレースで活躍。今シーズンは、若手ツーリングカー・トップドライバー育成プロジェクト「影山道場」の師範を務める、レーシングドライバーの影山正彦さんです。じっくりお楽しみください。


ナポレオンなんてたいしたことない
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鹿島 :今週のゲストは、レーシングドライバーの影山正彦さんです。よろしくお願いします。

影山 :よろしくお願いします。

鹿島 :1984年に富士スピードウェイの富士フレッシュマンレースでレースデビュー。当時を振り返っていただきますと、順当に活躍できたという感じでしたか?

影山 :そうですね。年数的に言うと、デビューして5年で今のフォーミュラ・ニッポン、当時のF3000というカテゴリーに行けたので、早かったなという気はするんです。でも、それまでにいろいろとありましたから。

鹿島 :どんなスポーツでもきっとそうだと思うんですけど、ここで行かなきゃいけない、ここで勝たなきゃいけない、ここで何らかのカタチを残さなきゃいけない、という瞬間があると思うんですけど、影山さんがそれを達成したのはいつでしたか?

影山 :毎レース、ホントにそういう気持ちでやっていましたから。話がちょっと広がってしまうんですけど、デビューした時から、これで飯を食いたい、プロになってお金を稼げるようなドライバーになりたい、という目標があったので、今までに和気あいあいでレースを楽しんだという記憶がないんですよ。

鹿島 :常に針の山の上にいるような、張り詰めた感じですか。

影山 :はい。それを楽しんでいたというのはありますけどね。レーサーになりたいと思ったのは、18歳の時に先輩に誘われて富士のフレッシュマンレースを観に行ったのがきっかけです。レース自体がまったく雲の上の世界の出来事でしたから、レースをやるにはどうすればいいか全然わからなかったんです。それで、知り合いのそのまた知り合いがレースをやっていたという話を聞いて、その人のところまでわざわざ行って話を聞かせてもらったりしていました。

鹿島 :はい。

影山 :そんなことをしているうちに、レースというのは、たとえフレッシュマンレースであっても非常にお金がかかるということを知って、18歳の僕は最初から、これは趣味でできる領域ではないなと感じましたね。

鹿島 :なるほど。いろいろ悔しい思い出もあるでしょう。

影山 :そうですね。親にお金を1円も支援してもらわずに、自分の働いたお金で全部クルマを用意してやりましたから。言葉は悪いですけど、親の金でレースに出ているヤツには絶対負けたくない、というのはありましたね。

鹿島 :フフフ。当時、マシンを作ってメンテナンスのスタッフを集めて、って大変だったと思うんですが、どういう風にして軍資金を作ったんですか?

影山 :その時、街中でそこそこいいクルマに乗っていたんですね。そのクルマを売って、なおかつ昼間はガソリンスタンド、夜は道路工事と、昼夜アルバイトをしました。睡眠時間3時間くらいで2年間頑張りましたね。

鹿島 :体力的には、若いとはいえキツいですよね。

影山 :そうですね。今では間違いなくできないですね。あの時はレースをやりたいという一心で頑張れたんですね。

鹿島 :眠くなりませんでしたか?

影山 :う〜ん、なんでしょうね。当時は、3時間睡眠のナポレオンなんてたいしたことねえなって思っていましたけどね。

鹿島 :フフフ。俺のほうがすごいよ、みたいな・・・。

影山 :ええ。人間その気になればやれるもんだなって。



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自信か、自己嫌悪か