Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。 

  何が何でも、チャンピオンを獲る!
 
(12月22日放送)
飯田 章

いいだ あきら
1969年12月18日生まれ
日本大学農獣医学部卒業

19歳の時に富士フレッシュマンレースに出場し、初レースで見事3位表彰台を獲得。 その後、プロドライバーとして、ル・マン24時間レースや全日本GT選手権で活躍を続ける。 特に2002年は、全日本GT選手権にESSO TOYOTA TEAM Le MansよりESSOUltraflo Supraで参戦。 シリーズチャンピオンの栄光に輝く。また、鈴鹿1000kmレースでもTOYOTA SUPRAで参戦し、総合優勝と大活躍!

ドライバーの他にも、新聞や雑誌、ビデオなどでも人気が高く、連載を数多く持ち、 俳優としてテレビドラマや映画にも出演している。

このコーナでは、レース関係者はもちろん車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週のゲストは今、日本で最も人気の高いレース、全日本GT選手権でトヨタのスープラでチャンピオンを獲得したレーシングドライバー・飯田章選手です。じっくりお楽しみ下さい。
 



今だから言いますけど、悩んでました・・・
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鹿島 :今週のゲストは、レーシングドライバーの飯田章選手さんです。よろしくお願いします。

飯田 :こんばんは。どうぞ、よろしく。

鹿島 :飯田選手は、プロフィールを見てみますと日本大学農獣医学部卒業なんですね。

飯田 :一応、大学を出ているんです(笑)。動物が好きだったというのもあるし、育ったところも山の中でした。病院をやるわけではないのですが、畜産関係の仕事をしたいな。牧場を持って馬とかを飼いたいなと思いまして・・・はい。

鹿島 :そういう子どもの頃からの夢から、いつレーシングドライバーへと考えが変わったのですか?

飯田 :レーサーになろうと思ったのは、ホントに大学に入ってからです。最初はものを作るというか、メカの方が好きだったのでメカニックになりたいなと思ってました。ガレージなんかで働けたらいいなあという夢を抱きましたね。

鹿島 :はい。

飯田 :それで大学に行こうか、整備士の専門学校に行こうか迷って、結局は大学の方を選んだんです。大学生になって、姉と一緒にサーキットに通いながらレースの世界にハマって、いろいろな人と知り合って、のめり込んじゃいましたね。

鹿島 :お姉さんは飯田裕子さん。いろいろな雑誌で活躍されているモータージャーナリスト(自動車生活ライター)の方です。お姉さんもレースをやられていましたよね。

飯田 :姉の方が先に始めました。僕の最初のレースは、元々エントリーは姉がしたんです。けれども「ちょっと危ない。技量が足りないから、弟のお前が代わりに出ろ」と言われて出たレースが、初めてのレースです。

鹿島 :そのレースの結果は、どうだったのですか?

飯田 :3位になりました。見事、表彰台です。一緒に始めた頃の仲間たちがよかったんでしょうね。そういう人たちに囲まれて、着々とAE86のレースなんかに出て、今、レースをやれているのかなという感じがしますね。

鹿島 :気がついたらプロになっていたという感じなんですか?

飯田 :正直言ってね。今だから言えることですけど、大学を卒業する頃は、いつレースをやめよう、どこで区切りをつけるか、というのをすごく悩んでいた時期もあります。'94年にル・マン24時間に行った時、あの世界を見て『俺はプロの道でやっていこう!』という決心をしましたね。

鹿島 :伝統のル・マン24時間耐久レースに行くまでは、やめちゃう可能性もあったということですか!?

飯田 :どこでケジメをつけようかというのを、ずっと悩んでいましたね。やっぱり、なかなか上手くいかないんですよね。周りの人たちみたいにコネじゃないですけど、そういうものを上手く使って、ステップ・アップするということも出来なかったんです。だから「俺たちとは違う世界だから、どっかでケジメをつけようね」という話をずっとしていたんですよ。

鹿島 :ちょっと意外でしたね。


 

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スタートに向いているとか、後半に向いているとか・・・