Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。 

  あなたの知らない究極の世界!

 
(10月13日放送)
難波恭司
難波恭司
(なんば きょうじ)

YAMAHAのワークスライダーを経て、現在は、開発ライダー、TVレース中継の解説者、コラムニスト、そして、YAMAHAの国内トップチーム(YSPレーシングチーム・スポンサード・バイ・プレストコーポレーション)の監督として活躍中。

1998年、代役でスポット参戦した世界GP鈴鹿戦での予選2位・決勝5位の力走は今もファンや関係者の間で伝説となっている。

このコーナでは、レース関係者はもちろん車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週は「ライダーサロン」です。今週のゲストは、ヤマハのワークスライダーを経て、現在は開発ライダー・レース中継の解説・コラムニスト、そしてヤマハの国内トップチームの監督の難波恭司さんです。じっくりお楽しみ下さい。
 



98年、世界GPにひとつの伝説が生まれた。
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鹿島 :今週のゲストは、難波恭司さんです。

難波:どうも、よろしくお願いします。

鹿島 :よろしくお願いします。我々、中高生の頃からバイクに憧れた世代からしますと、ホントにバイクシーンのカリスマです。

難波 :なんか、うれしいような、恥ずかしいようなそんな気分です。

鹿島 :1998年、バイクの世界GPが鈴鹿で行われた時に、代役でスポット参戦で出られました。その時の予選にはしびれました。

難波 :いやいや。僕もしびれました。

鹿島 :世界GPをフルシーズン戦っている強豪を抑えて、いったんはトップに立って、最終的には2位を獲得!

難波 :あれは、ちょっと出来すぎですね。今やれって言われても、無理だと思いますけど。

鹿島 :最終的に、決勝でも5位という成績。あれは、観ている側としてもうれしかったです。

難波 :多くの方に感動を与えたと言われました。自分では、あんな結果になるとは思ってもいなかったのですけどね。自分のレース人生の中では、すごいメモリアルなレースになりました。

鹿島 :もともとバイクレースの世界に入ったきっかけは、何ですか?

難波 :バイクが好きで、もう、毎日乗っていて、ご飯を食べるよりもバイクに乗っている方が好きで走り回っていたんです。スピードを出すとかいうのではなく、ただ乗っているのがとにかく楽しくて、という生活をずっとやっていたんです。そのうち段々、峠道とかでちょっと危ないかな〜という、ま、危ないレベルまで行っていないのですけどね。そういう走り方がおもしろいなあと思いはじめた時に、サーキットを走ろうという気持ちが出てきたのがきっかけですね。

鹿島 :それから、実際のバイクレースに出られるまでは、簡単にいきましたか?

難波 :いや、全然(笑)。周りにレースをやっている人たちがその当時いなかったので、見よう見まねで、まずサーキットを走ってみようと。それで、自分の乗っているバイクでそのままサーキットに行きの、ライトをはずしの、テープを貼りの・・・。

鹿島 :ハハハ。

難波 :それでスポーツ走行。当時はライセンスもないサーキットだったので、気軽に走れたんですよ。それで走ってみたらおもしろくて、レースに出てみたい、という自然な流れですよね。そんな感じでレースにだんだんのめり込んでいきましたね。

鹿島 :初めてのレースは、どうでしたか?

難波 :スタートはよかったんですよ、これが。2周目の1コーナーで転んで終わりました。そんなもんなんでしょうけどね。

鹿島 :ハハハ。でも、上位を走っていたんですよね。

難波 :その時、2番だったんですよ。これはいけると。自分の中では、もうちょっといけそうだなという気持ちが芽生えましたね。

鹿島 :そのあと、YAMAHAのファクトリーライダーに。

難波 :そうです。そこからずいぶん掛かりましたけどね。ただ、バイクに乗ることが好きで、レースが好きで、自分の人生を掛けていた・・・。そんなに話は大きくはないですけど、生活のすべてがレース中心になっていた頃でしたから。その一生懸命さが、誰かに伝わったんですかね。そういうのを見ていた当時のYAMAHAのスタッフの方がある時、「ちょっと乗ってみないか、テストに参加してくれないか。」とチャンスをもらいました。なんかそんな感じで話が進んだらしいです。僕は後から聞きましたけど。

鹿島 :いわゆるプロになった瞬間ですよね。それが!

難波 :そうですね。自分が大好きで、一生懸命やってきた世界でお金がもらえたというね。これがプロの瞬間だったのですかね。

鹿島 :逆に自覚も生まれて、最初のテスト走行の時は、緊張しませんでしたか?

難波 :いやもう、緊張だらけでしたね。当時はもう、怖い先輩・・・あっ、ごめんなさい。・・・立派な先輩たちがたくさんいました(笑)。近寄れない方たちばかりでしたね。みなさんもご存知かも知れませんが、平忠彦さんですとかね。そんな中で、右も左もわからない状態で、初めてテストコースを走らせていただく機会を与えてもらったんです。


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レーススケジュールは待ってくれないですから・・・