Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。 
(7月1日放送)

--プロフィール--

西内辰夫(にしうち・たつお)

1989年に(株)三栄書房に入社し、モータースポーツ専門誌『AUTO SPORT』に配属。6年間、同編集部に籍を置き、入門レースから全日本F3000、耐久レースといった国内レースを中心に取材活動を続ける。1996〜1998年の3年間は新車スクープ雑誌『ニューモデル・マガジンX』を手がけ、1999年1月『AUTO SPORT』編集長に就任。昭和39年10月11日生まれ、36歳。今年はネッツカップ・ヴィッツシリーズ開幕戦、VWニュービートルカップ開幕戦に参戦。趣味はスキーとお酒。

 
このコーナでは、レース関係者はもちろん車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週のゲストは、毎週木曜日発売の日本を代表するモータースポーツ雑誌、『AUTO SPORT』の編集長・西内辰夫さんです。コアなお話をじっくりお楽しみ下さい。


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鹿島 :今週のゲストは、『AUTO SPORT』の編集長・西内辰夫さんです。よろしくお願いします。

西内 どうも、よろしくお願いいたします。

鹿島 :今、F1でミハエル・シューマッハとラルフ・シューマッハの兄弟が大活躍していますね。

西内 凄いことです。F1のドライバーというのは、世界に22人しかいないんです。その内の2人をシューマッハ家が奪ってしまったわけですからね。


鹿島 :もともとこの2人は、どういう生い立ちなんですか?

西内 2人は揃ってレーシングカートの出身です。資料によりますと、兄のミハイルは3歳から、弟のラルフは4歳からカートに乗っています。

鹿島 :幼少の頃からレースだけに集中出来る恵まれた環境にあったという噂話を聞いたのですが、どうなんですか?

西内 一部では、お父さんがカートコースの経営者で、2人の兄弟に好きなだけ走らせて育ったから今があるんだといわれているんですけど、実はカートコースを管理する人だったんです。

鹿島 :そうなんですか。

西内 ちなみにお母さんは、そのコースの売店でお菓子などを売っていたそうです。

鹿島 :一部でいわれているような環境とは、ニュアンスが違いますね。

西内 当時から、ニューマシンが速くてニュータイヤが性能を発揮するのは当然なんですね。シューマッハ家もレースを続けて行く上で、お金が続かなくなってしまったそうなんです。

鹿島 :ええ。

西内 それで、レースを辞めるか、辞めないかという時に、才能があるからカートをやりなさいとある人が援助をしてくれたそうです。それがあったから、今があると。どうやらその方は、今のセナのファンクラブの会長さんをやられている方だという事です。

鹿島 :そうなんですか。ほとんど表には出てこない方ですよね。あと、弟のラルフがF1に上がって来るまで、レース資金をかなり兄のミハエルが援助をしていたいう話を聞いた事があるんですけど。

西内 具体的には、ホントのところはわからないです。ただ、ラルフがカートをやっている頃に、兄のミハエルはF1を走っていたわけですから、収入は全然ちがいます。ラルフが日本のフォーミュラ・ニッポンに来たのも、兄のアドバイスであり、何らかの形で援助をしたとは思います。

鹿島 :はい。

西内 やっぱり、自動車レースの世界はコネクションといいますか、人と人との繋がりが大事なんです。ミハエルもフォーミュラ・ニッポンをやっていたから、あそこのチームがいいよというような形で名門チームに入れたんだと思います。

鹿島 :お兄さんのミハエルは人格者ですよね。そういった部分も弟にいい影響を与えているんじゃないかと思うんですけどね。

西内 そうですね。兄弟揃ってやっていけるというのは、速さだけではなく、努力ですとか、人と人との繋がりなども大切にしたからこそ今があるんでしょうね。

 

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