Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。 

 
(5月6日放送)


WGPライダー阿部典史選手と取材先・台湾にて

--島田昭彦(しまだあきひこ)--
1964年3月1日生まれ。87年立教大学卒業。91年より文藝春秋 スポーツグラフィック・ナンバーの編集に携わる。フランス・サッカーW杯、シドニー五輪、NBA、F1GPなど,スポーツの最前線の感動を伝えるために海外のスタジアムを飛び回り、またあるときは、野球、競馬取材のため国内を飛び回り、アスリートの真の姿を切り取り、最高の感動を、最高の形で読者に伝える毎日。
インタビューを通じて選手達とも親交があり、フィンランドでは荻原健司のクロスカントリーのトレーニングに付き合い、伊達公子とはキッズテニスの視察で中国へ、世界GPライダー阿部ノリックと台湾に行ったり、ローマではジョカト―レとワインを飲んだり・・・。

このコーナでは、レース関係者はもちろん車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週のゲストは、スポーツの持つ楽しさ魅力はもちろんの事、時にはアスリートの素顔や苦悩までも深く探り、我々に伝えてくれる雑誌・Sports Graphic Number編集部の島田昭彦さんです。じっくりお楽しみください。





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鹿島 :今週のゲストは、Sports Graphic Number編集部の島田昭彦さんです。よろしくお願いします。

島田 :島田昭彦です。よろしくお願いします。

鹿島 :Sports Graphic Number編集部。もう、何年ぐらいになりますか?

島田 :今年で21年目ですね。

鹿島 :スポーツ専門誌の草分けになるわけですが、どのあたりで手応えを?

島田 :やはりF1ブームですね。ちょうど、80年代後半から日本でF1ブームが起こりました。そこで、Numberは、ホップ・ステップ・ジャンプでいうならば、ホップですね。部数を一気に伸ばして、それがきっかけで認知されたと言ってもいいと思います。

鹿島 :なるほど・・・。

島田 :その後、マイケル・ジョーダンに代表されるNBA。そのあとが、Jリーグ発足による日本サッカーのプロ化。そして、今度は日本チームがワールドカップに出場。いろいろな形で日本から海外へと芽が出てきたと思います。他には、テニスの伊達公子さんとか、スキーの荻原健司選手。彼らの活躍も見逃せないと思います。

鹿島 :そういう意味では、島田さんの仕事ってホントに日本、世界のトップスポーツシーンを常に渡り歩いているような生活ですね。

島田 :そうですね。常に世界での活躍、感動を日本に伝えるという仕事だと思います。

鹿島 :モータースポーツでの取材で想い出に残るモノは何ですか?

島田 :やはり、モンツァ・サーキットでのイタリアグランプリですね。ここで、日本とヨーロッパのクルマ文化の違いを凄く感じましたね。

鹿島 :と、いいますと?

島田 :レースが終わった翌日、月曜日の話題はF1ばっかりなんです。それはどこへ行ってもそうなんです。昨日、フェラーリが勝ったか、負けたか。それしか話さないんです。仕事は一切しませんね。

鹿島 :ハハハ。月曜日はね・・・。

島田 :それは、おばあちゃんからビジネスマンまでそうなんです。ガゼッタというスポーツ新聞では一面ですし、それがイコール文化なんです。

鹿島 :この違いは何なんですか? 日本の野球以上ですよね。

島田 :昨日、松井が打った。清原が打った。というレベルを更に深く浸透させたようなモノだと言っていいと思います。それが世界レベルで展開されているという事なんです。

鹿島 :プライベートでも関わりはあるんですか?

島田 :まだ、現役で走っているジャン・アレジ。彼なんかは、最初、後藤久美子さんと結婚をするまでは、日本語がほとんど話せなかったですね。ところが、もう最近では、ペラペラですから。

鹿島 :フフフ。その他、今までのF1の取材で想い出に残る事は何ですか?

島田 :そうですね。これは少し悲しい話になるんですが、アイルトン・セナが亡くなった時ですね。彼は、非常に記憶力がいいんです。一度、自分が作った雑誌を手渡しすると、必ず覚えてますね。このNumberという雑誌を作っているエディターは、この人だと。名前も覚えてます。

鹿島 :そうですか。ということは、自分にまつわる文章や写真とかは、真剣に見ているんでしょうね。

島田 :たとえ、日本語が読めなくても、写真から彼らは日本で自分がどう表現されているのか。感性が鋭いですから、読み取っていたと思います。

 

 

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1999年、ル・マン。日本人3人で2位の表彰台。