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 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。 

(4月22日放送)

Photo by : Naoya Soma

--プロフィール--
脇阪寿一(わきさか じゅいち)
1972年7月29日生まれ、奈良市出身。
1991年にカートを初め、95年には「全日本F3選手権」に
参戦し新人賞を獲得。翌96年には日本人として6年ぶりと
なるチャンピオンを獲得。その後、98年にF1ジョーダン
無限ホンダテストドライバーとなり海外生活を経験。
帰国後、二つの国内最高峰シリーズ「フォーミュラニッポン」、
「全日本GT選手権」に参戦中。

 

 

このコーナでは、レース関係者はもちろん車を愛してやまない人気アーティストをゲストにお招きして、カーライフやレースのエピソードなど、その人物の本音にレーサー鹿島が迫ります。

今週のゲストは、今シーズンも日本のトップカテゴリー、全日本GT選手権、フォーミュラ・ニッポンで活躍中のレーシングドライバーの脇阪寿一さんです。じっくりお楽しみください。



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鹿島 :今週のゲストは、レーシングドライバーの脇阪寿一さんです。よろしくお願いします。

脇阪 :こんばんは。よろしくお願いします。

鹿島 :脇阪さんは、元々、実家がクルマ屋さんですよね。小さい頃から、レーサーに成るために英才教育を受けたんですか?

脇阪 :いえ。全然ないです。親父がクルマ屋さんを始めたのは、僕が中学生の時です。クルマ屋さんと言っても普通の販売の方なので、レースに関係ないんです。ただ、父親の親友に同じレーシングドライバーの道上龍の親父がいて、子供の頃からゴーカートに乗れ、乗れ、言われてました。

鹿島 :そうなんですか。

脇阪 :でも、僕は、出身が奈良ですから、自然が豊かなんです。セミを捕ったり、川に入ったり、釣りをしたりの方が好きだったので、断り続けていたんです。19歳の時に、又誘われて、じゃ、最後に乗ったろやないかという感じで乗ったのが始まりです。

鹿島 :なるほど。

脇阪 :その時、ゴーカートのレースでプロの方達が乗るようなカテゴリーのマシーンに乗せられて、お前は速いだの、才能があるだの言われて、調子に乗せられて、勘違いさせられて、それが今でも続いているんです。そのうち誰かに勘違いだと気づかせていただけると思っているんですが、その機会が来ないので、もう少しこの世界で頑張ろうかなと思って、今に至っています。

鹿島 :今年のフォーミュラ・ニッポン開幕戦では、2位表彰台をゲット。幸先いいスタートですね。

脇阪 :2位、6ポイントというのは、チャンピオンシップを考える上では、大切なんですけど、自分としては勝てるレースを落としたという気持ちでいっぱいなんです。逆に言えば、今年、鈴木亜久里監督に勝てる体制を作ってもらって、自分が勝つために足らなかったものが、あの1戦でわかったような気がします。

鹿島 :はい。

脇阪 :あの1戦で勝てなかったということで、2戦目からの戦い方に変化が出ますし、今年のチャンピオンシップに対してもあの1戦は、もの凄く重要な意味を持つとポジティブに考えています。

鹿島 :1998年にはF1のテストドライバーもやられていますけど、あの時は、今振り返ってみると、どうでしたか?

脇阪 :あの頃はちょっと僕が若すぎて、頂いたチャンスの大きさに気づかずに終わりました。非常に失礼な事をしたと思います。

鹿島 :といいますと・・・

脇阪 :僕がチャンスをつかんで、F1のシートに乗って活躍しないと、後に続く子供達の懸け橋にならないですから。それをするために僕が選ばれたのに、1年で5〜6回テストに乗せてもらっただけで終わってしまったというのが、申し訳ないです。

鹿島 :チームの雰囲気はどうでしたか?

脇阪 :そうですね。首脳陣は基本的にはビジネスですね。メカニックから下の人は、日本と変わらず気持ちで通じ合う何かがあって、言葉もカタコトの英語しかできなかったですけど、夜、一緒に食事したりしました。僕をドライバーとしてみてくれてました。

 

 

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