Driver's Salon
 クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。 

黒澤琢弥 PART2 (5月28日放送)
Profile
1962年6月7日茨城県生まれ
1990 全日本F3000選手権参戦ーチームルマン/全日本F3選手権、全日本ツー リングカー選手権に参するなど常にわが国のカーレースの第一戦で活躍。 今年もデイル・コインレーシングよりフォードエンジン/ローラシャーシでCART シリーズへ初挑戦するなど精力的に活動を続けています。 日本で有名なレーサー黒沢元治を父に持ち、2人の弟も現在全日本F3選手権に参戦 中。まさにレース一家。

 photo by So Kuramochi

 
今週も先週に引き続きまして、日本を代表するトップドライバー、アメリカモータースポーツの最高峰、CARTシリーズにフルエントリーの黒澤琢弥さんの第2弾です。じっくりお楽しみ下さい。

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鹿島 :黒澤琢弥さんは1985年レースデビュー。お父さんと弟さんお2人もレーサー。レースファミリーですよね。

黒澤 :そうですね。弟2人はF3をやっています。「何も全員でレースやらなくてもいいだろう」って感じですよね(笑)

鹿島 :黒澤さんは小さい頃から厳しいレーシングドライバーとしての教育を受けたんですか?

黒澤 :全然受けていませんね。

鹿島 :レースをやろうと思ったのはいつ頃ですか?

黒澤 :18歳で免許を取って峠とかを走っていたんです。1人で走っていてもつまらないわけですよ。そのうち首都高に走りに行ったけど、それでも面白くないわけですよ。
それで「競いたいなあ」と思ってスピードウェイをAE86レビンで走ったら、自分より速い連中がたくさんいるわけで、「これはもう、やっつけなくちゃしょうがない」ってことで。

鹿島 :それまでは「俺が1番速い」という自信があったわけですね。

黒澤 :その頃茨城にいましたから、「茨城じゃア、オラが1番だろ」なんて、ちょっとナマって…(笑)

鹿島 :それから即、レースを始めたんですか?

黒澤 :即は出来なかったですよ。正直お金もなかったですし。その頃は板金の仕事をやってお金を貯めて、解体屋にある86を買ってきて、エンジン、サスペンション、オイル、バッテリーなどの交換を全部自分でやってました。

鹿島 :お父さんは元々レーサーですから、手伝ってくれたりしなかったんですか?

黒澤 :そんなに優しいパパじゃなかったですね。父親はモータースポーツの厳しさを知ってるので、あえて「勝手にやれ」という感じでした。勝手にやった結果が今なんですけどね。

鹿島 :最初のレースはどうでしたか?

黒澤 :最初のレースは無我夢中で、憶えているのは予選でミッションがトラブって24台中23番手スタート。でも、わずか10周のレースで4〜5周目で3位ぐらいまでいたんですよ。

鹿島 :ゴボウ抜きですね!

黒澤 :そんなキレイなものじゃなくて、全部当てて抜いたから、後でクレームが大変だった。そんな調子で、富士の100Rで2位のクルマを抜こうと、ちょっとムリして飛び出して、「ガシャッ」と…終わっちゃいましたね(笑)

鹿島 :でも、2位争いのところまではあっという間に追い上げたのは、スゴイですね。

黒澤 :クルマは形とどめてなかったですけどね。両方の柱がイっちゃってたから、ドアから降りられなくてハッチバックを開けてもらって降りて。

鹿島 :……デビューレースから相当アグレッシブだったんですね。

黒澤 :そうですね… 当時はちょっとアブない男でしたね(笑)

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「それを楽しめないと、プロにはなれませんけどね…」