クルマを愛して止まない「彼ら」との対話。それがレーサー鹿島のドライバーズサロン。

高橋 国光
Profile
1940年、東京生まれ。1958年に日本で初めて開催された二輪レース「第1回 全日本モーターサイクル・クラブマンレース」に出場し優勝、レース界に入る。その後、ホンダワークスライダーとしてWGPを転戦。
1961年ドイツ・ホッケンハイムサーキットで日本人として初めてセンターポールに日の丸を掲げた。1965年より四輪レースへ転向し1977年に富士スピードウェイで行われたF1日本GPに出場。1985年〜1987年、1989年と4度の全日本耐久選手権のチャンピオンとなる。
そして、1992年より「チーム国光」を結成し自ら監督兼ドライバーとして全日本ツーリングカー選手権へ参戦。1994年からNSXで土屋圭市、飯田 章と組んで「ル・マン」に挑戦し完走を果たす。そして95年にはNSXで念願の「ル・マン」クラス優勝、十勝24時間レース総合優勝、鈴鹿1000kmでクラス優勝を果たし前年度から合わせて耐久5連勝を達成。
96年は、「ル・マン」クラス3位入賞を果たす。97年には監督として鈴鹿8時間耐久ロードレースにも参戦。ジュニアチームを結成し、若手育成にも力をそそぐ。
98年の全日本GT選手権ではチーム悲願の初優勝を獲得し、自らのレーサーキャリア通算70勝を飾った。「国さん」の愛称で親しまれる「レースの鉄人」も1999年11月ついに引退を表明、通算488レース・優勝71回の大記録に一応のピリオドを打った。



 PART1(1月2日放送)

新年1回目のゲストは、42年間に渡って日本のレース界をリードし続け、昨年11月のレースをもって引退を表明されましたレース界の鉄人・クニさんこと、高橋国光さんです! 国光さんの事務所におじゃまして、いろいろなお話をお伺いしました。新春スペシャルインタビューの模様をじっくりとお楽しみ下さい。

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鹿島 :あけましておめでとうございます。

高橋 :おめでとうございます。

鹿島 :国光さんのレースの歴史は、1958年に日本初のバイクレースで優勝したことから始まるワケですが、当時18歳…! これは衝撃のデビュー・ウィンですよね?

高橋 :そうですね。今考えるとホントにまあ、ラッキーと。夢みたいですねェ、初出場で優勝だったわけですから

鹿島 :その後の高橋少年は、いかにしてメーカーの契約ライダーというキップを手に入れたんですか?

高橋 :結局2年連続優勝してしまったんでね。本田宗一郎さんから僕のところに「ホンダの選手にならないか」と、そういう話が舞い込んで来たんです。

鹿島 :その時は、どんなお気持ちでした?

高橋 :「えっ、えっ!?」ていうね(笑) ホントに疑いたくなるような事だったんですけど、すぐに海外遠征というような事になってしまったわけですよ。

鹿島 :そして1961年、「世界2輪選手権ドイツグランプリ」で日本人初の国際レース優勝という素晴らしい記録を出されてます。

高橋 :そうですね。1960年に3レースを経験しまして、1961年の初めのレースで勝ってしまったんですよ。

鹿島 :何があったんですか!? 国光さんの中で…

高橋 :チャレンジ4戦目にして世界GPのゴールに立ってしまったんですね。まあ、いろいろ考えてみますと、第一にバイクが凄く優秀であったということではないかなと。マシンに助けられてそのレースは勝ったという。

鹿島 :はい。

高橋 :僕の方はもう無我夢中だったんですけど、マシンがよく走ってくれたために勝てたというような状況ですよね。
ヨーロッパはコーナーが多くて難しいコースが多かったんで、そう何度も勝てないかと思っていたんですが、その同じ年に僕は北アイルランドで勝っているんですよ。


鹿島 :はい。

高橋 :そのレースはねェ、ホントに世界のトップライダーと競り合って勝ったんで、僕としては凄く嬉しかったですね。「ドイツグランプリ」の時は日本人の初優勝という事で大変騒がれましたけど、内容からしたら僕自身は満足いってなかったです。

鹿島 :じゃあ、その北アイルランドの1勝は、マシンはもちろん、テクニック的にも、「してやったり!」という状況だったんですね。

高橋 :テクニックというよりも感覚ではないかな、と思うんですよね。テクニックはまだまだ、キャリアは少ないわけですから。感覚で世界のトップのナニかをつかんだというところではないかな、と思うんですよね。

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